ビリー・キャスパー(1931 – 2015)を偲ぶ_読者寄稿

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 今年のマスターズは主役が2人いて、例年にも増して盛り上がった。勿論、一人は大会史上最少スコアとタイの270(18アンダー)で完全優勝を果たした21才のジョーダン・スピース(Jordan Spieth)、もう一人は63才のベン・クレンショー(Ben Crenshaw)である。松山英樹が11アンダー、特に最終日ボギーなしの66で、5位に入ったのは称賛されるが、彼の力は既に世界のトップレベルに達しており、特段驚くことではないと思う。

 マスターズだけは毎年4日間ともテレビの生中継を観る。それはコースの美しさ、品の良いパトロンの声援、そして選手が繰り広げる熱い戦いのドラマが一体となって画面を飾っているからである。松山英樹の活躍があって、日本の新聞も今年は大会の模様を可なり詳しく報じていたので、それには触れないことにする。

 アメリカのESPN(初日、2日目)とCBS(3日目、最終日)は恒例の競技終了後の主な選手のインタヴューに加え、今年は最後にクレンショーと2人のコメンテーターによる鼎談番組を放映した。マスターズは本来Augusta National Golf Clubの招待ゴルフ・トーナメントであって、歴代優勝者は全員招待される。プレーに参加するかどうかは本人の自由。マスターズ制覇2回を含むツアー通算19勝のクレンショーは本大会を最後のマスターズにしたいと宣言してプレーした。その特別番組の中で、マスターズの思い出を中心にゴルフと人生について語ったが、僕には次の話が特に印象に残った。

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 予選ラウンドの2日間、周りを囲んだパトロン達がスタンディングオベーションで温かく声援を送ってくれた。特に18番の幾重にも連なったパトロンのスタンディングオベーションには優勝したのか!と錯覚するような強い感動を覚えた。実はスピースには最終日の朝、“Keep your head down. Then, this tournament is yours.” と電話で激励して上げた。意訳すれば「(周りのプレーヤーを気にせず、勝ちを焦らず)今まで通りの自分のプレーに徹しなさい。そうすれば、この大会は君のものだ。」 

 スピースはこの1~2年頭角を現してきているが、そのプレーぶりに感心していた。そして、彼はビリー・キャスパー (William Earl Casper, Jr.) の再来ではないかと思った。実にステディなプレーで、特にパッティングとショートゲームの上手さで、余り飛距離が出ないドライバー・ショットのハンデをカヴァーしている点がキャスパーそっくりである。ただ、キャスパーのパッティングスタイルはスピースとは全く異なる。(注1)21才のスピースはキャスパーのように、これからトップ・プレーヤーとして長く君臨するだろう。

注1

 肩の力を抜く為か、構えた後パターを2?3回軽く上下させ、バックスイングを殆ど取らず、リストを使い、ただボールをカチッとヒットする打ち方。従って、フォロースルーも小さい。クレンショー(やはりパッティングの名手)もスピースも松山も、確りボールをヒットする点では変わりはないが、ゆっくり目のバックスイングで長めにフォロースルーをとるパッティングをする。これが今の主流だが、スピースのパッティングには何か天性を感じる。

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 クレンショーの愛称は Gentle Ben(優しいベン)で、アメリカではファンに最も敬愛されて来ているトッププロである。二人はテキサス大学の先輩と後輩の間柄。スピースが生まれ育ったのはペンシルバニア州だが、クレンショーはオースティン市生まれのテキサス子。後輩を温かくこっそり激励した大先輩、そのアドバイスを忠実に守って、ミケルソンら強豪の追い上げに全く隙を見せなかった21才の若者。

 何という素晴らしい出来事だったろうか! 2位タイに入ったジャスティン・ローズの次の言葉が全てを物語っている “He just never really opened the door.”

 さて、キャスパーが2月7日、心臓マヒでユタ州の自宅で急死したとのニュースを新聞で知った時は驚いた。パーマーより2才年下のまだ83才、体調を崩しているとの話もなかったからだ。その後、アメリカのゴルフ雑誌Golf Digest 4月号がフル・ページを割いて写真入りの素晴らしい追悼記事を載せていたが、クレンショーが「スピースをキャスパーの再来」と称えたのは「成程!、そうだなぁ」と思え、キャスパーについて書き残しておきたいことがあるのに気付いた。クレンショーに感謝したい。

 キャスパーの全盛期は1955年から1970年代初頭に掛けてだったが、偶々ニューヨークに駐在していた1960年代後半、2度彼のプレーを目の当たりにしたことがある。今も鮮明に浮かんでくるのが PGA ツアーのウエストチェスター・クラシック(当時の大会名称)での一光景。

キャスパーの組に数ホール付いていたが、バーディを取って次のホールに移動する時、近くに居た彼のファンの一人が、“Billy, make a charge, will you?!” (ビリー、追い上げろ!)と声援を送ったところ、キャスパーは無言で小さく、しかし確りと首を縦に振って声援に頷いた。キャスパーの慎ましい人柄が出た反応である。

 特に、1960年代はA.パーマー、J.ニクラウス, G.プレーヤーの’ビッグ・スリー’と称されたトリオがメディアと一般のファンに持囃された時代で、実力・実績では引け劣らないことは玄人のファンには分かっていたが、地味さが災いしてキャスパーには耳目が余り集まらなかった。

「The Big Threeは総合メディア運営事業の先駆け International Management Group (IMG) の創業者 MarkMcCormack氏の命名によるもの。まず、1960年パーマーと手を結び、ニクラウスとプレーヤーの代理人も務めた。マコーマック氏は弁護士だったが、ライセンシングやCMビジネス、或いは企業買収などの IMG のコアー事業を拡大し、アメリカン・ドリームを成就させた起業家の一人であった。ユニークな内容の企業経営指南の本も何冊か著し、小生もその昔読んだことがある。2003年死去。

 キャスパーは「グリーン上の魔術師」と呼ばれた通り、パッティングの上手さが一番有名だったが、真骨頂は卓越したショット・メイキング、コース・マネージメントと、チョーク(choke、緊張して堅くなる)することが一切無かった点にあると、何度も一緒に戦った’ビッグ・スリー’を初め、キャスパーのプレーを知っているプロゴルファーと著名な評論家は指摘している。弱めのパッティングは無かったと云われた所以であろう。

 当時、小生にとって、キャスパーの一番の魅力は、外連味のないスイングとプレーの早さ、即ち構えたら躊躇することなく直ぐゴルフボールを打つことであった。勿論、練習により培われた自信の裏づけがあったにせよ、精神面の強さを含めた天性によるところが大であったに違いない。難しそうな池越えのショットでも、うねったグリーン上の長い距離を残したパッティングでも、いとも簡単にプレーするので、それが反ってギャラリーやテレビの視聴者には退屈に映ってしまったのかもしれない。

 でも、現役時代は過小評価されていたキャスパーの実力は彼の引退後に正しく再評価された。末尾に記した数々の数字がそれを立証している。2012年にキャスパーは自叙伝『The Big Three and Me』(Genesis Press, Inc.) を出版したが、’ビッグ・スリー’は寄稿した序文の中で、本当は ‘Big Three’ではなく, ‘Big Four’だったと回顧している。それを読んで、キャスパー・ファンの一人として本当に嬉しかった。控えめな性格のキャスパーも、具体例を挙げて4人の間は厚い友情で結ばれていたことを記している。

 ゴルフ以外の私生活でも、キャスパーは歴代のプロゴルファーの誰よりも素晴らしい人生を送った。一言でいえば、家族と信仰心を最も大事にしたことである。夫人のShirleyさんとの間に5人の子宝に恵まれた上に、6人の子供を養子として迎え入れ、11人を育て、孫だけでも71人居る。敬虔なモルモン教徒の夫妻はサンディエゴの出身(1952年に結婚)だが、モルモン教のメッカ、ユタ州に大農場を購入し、家族共々そこで過ごすことが多かった。

 トーナメントプロとしての全盛期にも、オフがあれば教会の福祉活動に励み、勿論引退後も続けた。Shirleyさんは特に敬虔な教徒で二人が所属する the Church of Jesus Christ of Latter-day Saints.の日曜礼拝を欠かしたことはなかった。

 子供の時 San Diego Country Club でキャディのアルバイトをしたことがキャスパーをプロゴルファーに導いた。子供へのチャリティ活動に特に熱心で、同クラブで毎年 “Billy’s Kids” の名称の青少年ゴルフ大会を主催している。 ツアー引退後は、他のトッププロと同様、ゴルフ場の設計・管理の事業会社を立ち上げ成功を収めている。

 実は、大ファンなのに、先の自叙伝を読むまで、キャスパーのニックネームが ‘Buffalo Billy’ であることを知らなかった。その来たるところは次の通りだ。1960年中頃、体調を崩し、名医に検査してもらったところ、その原因が卵、豚肉、ピーナッツなどの食べ物と特定の化学物質に対するアレルギー反応にあることが判明して、食生活と家の中の備品などをガラリと変えた。

 体調快復後のあるトーナメント出場の初日、取材に来ていたスポーツ記者団から、減量して引き絞まった体型について質問を受けたので、「医者の指示で、豚肉などアレルギー反応のでる食品を断ち切り、バッファロ(水牛)以外の肉は食べてはならない事になった」と答えたところ、早速 ‘Buffalo Bill’ の渾名がつけられたと。

 それでは、キャスパーのPGAツアーの主な実績に付いて触れておきたい。(対象期間は1950年から2011年末まで、但しタイガーなど現在プレー中の若い世代の選手との比較及びチャンピオンズ・ツアー、海外での成績などは省略)

  1. 出場回数に対し優勝した確率は9.2% (51/556)ニクラウスの 12.3% (73/594) に次ぎ第2位、トップ 25 に入った確率は 68% (380/556) で第1位、ニクラウスは 65% (389/594)
  2. ツアー優勝回数:51はスニード、ホーガン、タイガーなどを入れても歴代第7位。その内メジャーは全米オープン2回、マスターズ1回。
  3. 年最低1回優勝の連続記録_16年間(1956年から1971年)はパーマーとニクラウスの17年間に次ぐ歴代第2位。
  4. Vardon Trophy(年間最少ストローク賞5回)_タイガーの6回に次ぐ史上第2位タイ、タイはトレビノ)1960, 1963, 1965, 1966, 1968
  5. Ryder Cup 獲得ポイント_23 1/2 (2010 7引き分け) はアメリカチームの歴代第1位。(パーマーの 23 が次)1979年にはキャプテンの栄誉に輝き、アメリカを勝利に導いた。
  6. PGA Player of the Year: 1966, 1970 の2回。
  7. PGA年間賞金王: 1966, 1968 の2回。
  8. World Golf Hall of Fame(世界ゴルフ殿堂)入り: 1978年

 偉大なレジェンドがひとり世を去ったが、クレンショーが話したように、伝統を受け継いでくれる素晴らしい若者が出てくることを期待したい。  ―了―       2015.5.7. [N. K.]


 上記内容は、2015年5月7日にN.K. 様より、当(ゴルフ事件 過去帖)へご寄稿頂いたものを、全文修正する事無く掲載致しました。但し頂いた原稿は明朝体でしたが、これをゴシック体へ変更させて頂きました。又、WEB読者の方が読み易い様に、行間を空けた点が変更箇所です。

 なお関連する以前の記事は、下記のリンクよりご確認頂けます。
読者寄稿_2013年大洗ゴルフ倶楽部理事長杯優勝者から