asakura_inadashihainin_tact-top.jpg2015年5月中旬に千葉県の麻倉ゴルフ倶楽部・稲田康男支配人を訪ね、2015年ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント開催に於ける、舞台裏のお話を伺って参りました。                                                                 そこには本戦前夜の息も詰まりそうなドラマが、展開されていたのです。

                                           【 ご経歴 】                                                                2012年04月 関西カントリークラブより麻倉ゴルフ倶楽部へ赴任                                                  2013年04月 麻倉ゴルフ倶楽部 副支配人                                          2014年04月 麻倉ゴルフ倶楽部 支配人

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編集長_奥田プロのゴルフバッグが、本戦前に大阪へ誤配されたそうですね。                                                                  稲田氏                                                                                          そうなんです。5月8日の夜8時50分頃だったと思います。突然キャディーマスターから連絡が入ったんです。 悲壮な声で(支配人やってしまいました。明日からの本戦にクラブが間に合いません。どうしましょう?)との事。

話を良く聞けば、奥田プロのクラブが入ったキャディバックを、夕方に大阪へ送ってしまったとの事でした。8日の金曜日私は大会の前夜祭に参加していまして、終了したのが8時30分頃でした。前夜祭の開催場所は成田だったんですが、私は社宅の在る方面へ帰宅すべく車で移動中に受けた連絡でした。

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編集長_びっくりですよね! その後どうされたのですか?                                                                           稲田氏                                                                                     先ず次の件を確認する様、指示しました。                                                                      1、クラブが今何処にあるのか?                                                                                  2、取り戻すには、どうしたら良いのか。                                                                      3、このミスは、なぜ起こったのか?

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編集長_その結果はどうでしたか?                                                                                稲田氏                                                                               確認出来たのが9時半か10時頃でした。7時半頃に集荷されて、クラブを載せた車両は、現在大阪へ向かって走行中との事でした。

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編集長_その様な事態に対して、どうしようとお考えに成られたんですか?                                                               稲田氏                                                                                  私が出した結論は、取りに行くしかないだろう、と言う事でした。                                                              当日の夜は、大会関係者が明日の本戦に備えて、多くの方が夜遅くまで作業されていました。その中のある関係者へ相談したところ、奥田プロ仕様に近いスペックのクラブを、契約メーカーへ連絡を取って準備して頂く様に、その方が動いて下さったのです。

しかしプロゴルファーの方にとってクラブは、大切な相棒だと思いますので、私が取り戻すべく行動する事が、最善では無いかと言う結論に、私自身至ったのです。幸いにも私は支配人と言う立場ですが、具体的な明日の仕事が待っている訳では有りませんでしたので、行動し易かったんです。

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編集長_実際にご自宅を出られたのは、何時頃でしたか?                                                              稲田氏                                                                                      はっきりとした記憶は無いのですが、10時半過ぎだった様に思います。

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編集長_いざ大阪へ、とは言え突発的出来事ですから、ご準備も大変ですよね。                                                     稲田氏                                                                                      そうですね。車のガソリンを満タンにして、当座のお金はコンビニを利用して、そして帰りの飛行機用としてクレジットカードの不備がない事、などなど様々な事を想定して出来る限りの事はしたと思います。

深夜とも言える時間帯から、関係先への連絡が上手く取れない状態でした。宅配業者さんの集積センターもその一つでしたが、私はゴルフ場で待機しているスタッフへ、集積センターへ FAXを入れてもらう事にしました。                                                                           (今、そちらへ向かっています。奥田プロのクラブをそちらで回収したい。回収したいものの内容はこれこれ ・ ・ ・ と言う旨のものでした。

この様な作業一つにしても、宅配業者のスタッフの方々には、大変お世話に成りました。電話番号やFAX番号の確認、私が何処へ向かったら良いのかなど、夜遅くまでご協力頂きました。

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編集長_最寄りの高速へ入られたのは、何時頃ですか?                                                                稲田氏                                                                            そうですね。おそらく11時頃ではないでしょうか。

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編集長_どの様なスケジュールを想定されましたか。                                                                  稲田氏                                                                             キャディマスターと様々なケースを想定して、計画を立てました。大阪発の飛行機は何時だろう?                                                           何時に羽田に着くのだろうか?                                                                       羽田からコース迄の所要時間は? 道路の混雑状況は?

その様な中で、7時10分大阪伊丹発の飛行機に、乗らないといけない。逆算してその時間が、見えて来ました。

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編集長_では何時に大阪住之江の集積センターへ着けば良いのでしょうか?                                                稲田氏                                                                                 カーナビは朝の六時に到着する、との予測でした。それでは、間に合わない。六時若干過ぎにクラブが見つかったとしても、7時10分の飛行機へは物理的に不可能でした。しかし出来る限りの事はしなければ、との思いで高速を走っていました。

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編集長_実際に住之江の集積センターへ着いたのは、何時でしたか?                                                           稲田氏                                                                             4時過ぎでした。深夜と言う道路事情にも大きく左右されたと思いますが、本当にラッキーでした。5時間少々で着きました。

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編集長_直ぐにクラブは見つかりましたか?                                                                  稲田氏                                                                                     4時半頃にクラブを見つける事が出来ました。

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編集長_早いですね。                                                                     稲田氏                                                                                      そうなんです。これは宅配業者さんと、兄妹のおかげなんです。

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編集長_どの様な事ですか?                                                                             稲田氏                                                                            私は大阪出身でして、兄妹が現在も大阪に居るんです。事前に兄妹へは、連絡を取っておりました。その兄妹が3時30分頃にはセンターへ着いておりまして、宅配業者のご担当者と一緒に探してくれていたんです。

ゴルフ場から送ったFAXを元に、センターのご担当者も(何とかしましょう!)と言って、大変ご熱心に探して頂き、本当に感謝しています。

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編集長_では、無事に飛行機に乗れましたね。                                                                   稲田氏                                                                                はい、乗れました。センターから伊丹空港までは、私の車で兄妹と共に向かいました。車は兄妹へ預けて、私は予定していた飛行機へ乗る事が出来たんです。

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編集長_しかし良く飛行機の席を確保出来ましたね。                                                                稲田氏                                                                               そうなんです。本当にラッキーな事が、続くと思いました。伊丹空港でチケットを購入しようとしたのですが、私が乗らなければならない便は、ほとんど空席が無い様な状況だったんです。                                                      

しかし係の方から、1,000円だけ高い席なら数名様分は、まだ空席が有ると言われたんです。助かりました。尚且つその席は、出口に近い席でしたので、羽田で速やかに出る事が出来ました。更に羽田でキャディバッグを、いち早く受け取りたい旨を、係の方に伝えました。無理は承知でお願いしますと。

そうしましたら羽田では、ほとんど待つ事無くバッグを受け取る事が出来たんです。またまた、ラッキーな出来事でした。

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編集長_羽田には何時ごろ、着いたのですか?                                                                    稲田氏                                                                                      8時15分頃です。

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編集長_羽田からはどの様にして、コースへ向かわれましたか。                                                       稲田氏                                                                               首都高速経由、東関道で帰って来たのですが、事前にキャディマスター室のスタッフが、羽田で待機してくれていました。羽田でスタッフとスムースに落ち合えないタイムロスは、ここまでのラックが無駄に成りますので、細心の打ち合わせをしていました。

例えば、誰が来てくれているの?ETCカードは大丈夫ですね?現金の持ち合わせは?車は何?羽田の何処で待機していますか?道路の混雑状況は?等などです。

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編集長_羽田を出発したのは、何時頃ですか?                                                          稲田氏                                                                                    8時30分には羽田を出発出来たと思います。事前の打ち合わせが、功を奏してスムースにスタート出来たと思います。

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編集長_コースに着いたのは、何時頃ころですか?                                                         稲田氏                                                                                 9時20分から25分頃に、着く事が出来ました。約55分で着く事が出来ました。道路状況も事故渋滞などが幸い無く、本当に助かりました。

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編集長_奥田プロへクラブを手渡せたのは、何時頃ですか?                                                       稲田氏                                                                                    9時半頃です。奥田プロのスタート時間は、10時10分ですから、その40分前に手渡す事が出来ました。様々なラックが重なった事も有り、感無量でした。最初から無理は承知で行動したのですが、奇跡と言っても良いくらいの結果でした。

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編集長_奥田プロの反応は、如何でしたか。                                                               稲田氏                                                                                      プロは朝の時点で、私が大阪へ向かった事、そして帰路の途中である事を、フロントスタッフから聞いていた様です。プロには次の様なお言葉を頂きました。

(そこまでしてくれなくとも、良かったのに。朝、支配人が動いて頂いている事を知って、涙が出る程嬉しかった。                                           何も遅れていませんよ。僕の朝の練習ルーティンは、40分前から開始しますから、普段通りです。                                                          届けてくれてありがとう!僕は貸しクラブでも問題無いと、思っていましたよ。気にしないでね。)

逆に我々スタッフが、奥田プロからお気遣い頂いてしまいました。

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編集長_初日、奥田プロの成績は、5位タイでしたね。                                                          稲田氏                                                                                     そうなんです。アクシデントが試合に大きく悪影響しなかったと言うか、奥田プロの精神力が強いと表現すれば宜しいのか、兎に角うれしかったですね。私は密かに、もしかしたら優勝が有るかもしれない、と考えてしまいました。

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編集長_実際、奥田プロは優勝してしまいましたね。                                                           稲田氏                                                                             そうなんです、そうなんです!二日目の朝、私はプロに調子はいかがですか? と尋ねましたら、全く問題ないとのお応えでした。                                                                               (頑張って来るねと私に元気なお声をかけて頂いてから、ティーングランドへ向かわれた奥田プロを見て、クラブを取り戻せて本当に良かったと、何度も何度も胸をなでおろしました。

そうしましたら結果は優勝ですから、アクシデントに見舞われた奥田プロが優勝したんですから、まるでドラマの様な出来事の連続で、私自身生涯忘れる事の出来ない3日間に成りましたね。

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編集長_奥田プロが優勝争いしている時点では、気をもんだんでは有りませんか。                                                   稲田氏                                                                                   頑張って下さい、と心の奥底で私は願っていた様に思いますね。大会関係者として特定の選手のみを応援する事は、宜しくないと言う点を重々理解していましたが、今振り返るとその様な心理状態だったなと思いますね。

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編集長_奥田プロと接されて、どの様な方でしたか。                                                         稲田氏                                                                                       奥田プロは優勝後の帰り際に、私どもの事務所を尋ねて来られました。そこでプロとは様々なお話をさせて頂いたのですが、スタッフ一同この度の優勝に感動し、今後もご活躍して頂きたい旨を申し上げましたら、プロが涙を流されたんです。本当に情に篤い方だ、と思いました。

今回のアクシデントは、奥田プロに頑張って頂き優勝したので美談に成りましたが、成績が悪かったら私共のミスが大会の汚点に成っていた可能性が有ります。奥田プロには、感謝してもしきれません。

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編集長_ところで、この度のレジェンドに対する評価は、如何でしたか。                                                           稲田氏                                                                                      大会運営実行委員会の方からは100点です、とおほめのお言葉を頂きました。又、ギャラリーの方で、事故に合われた方もいませんでしたので、本当に良かったと思っています。

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編集長_会員の方の反応は如何ですか。                                                                            稲田氏                                                                                   当クラブは会員制ですので、大会期間中会員の方がラウンド出来ないと言う点に付いて、申し訳ない気持ちで一杯です。当然会員の方の入場は無料ですし、ご同伴の方一名様に付いても無料です。更に今年から来場した会員の方へは、昼食券を配布しました。

会員の方の満足度を下げない様、努力しています。

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編集長_会員の方が、プロアマに出場出来ますか。                                                          稲田氏                                                                                    残念ながら出来ません。しかし本戦へは、3名の方が出場出来ます。これにはお申し出が必要で、今年も3名の会員の方が出場されました。

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編集長_レジェンドはチャリティー大会でも有る訳ですが、参加者の皆さんの反応は?                                                     稲田氏                                                                                    参加プロのみならず著名人の方も、チャリティーに関する意識は高いです。当然東急グループとしてもチャリティーに関しては、積極的に関わっております。                                                                    例えばチケット収入の一部もそうですが、大会のホールインワンに200万円を協賛しておりまして、もし出なかった場合は千葉県の子ども病院へ全額寄付しております。

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編集長_最後にこの度の出来事を振り返って、思うところをお聞かせ下さい。                                                         稲田氏                                                                                       このチャリティー大会を東急グループの中でも、特に麻倉ゴルフ倶楽部で開催出来る事を、私は誇りに思っています。倶楽部スタッフは、皆どの様にしたら会員満足度が上がるのか、シンプルに考えております。

この普段の積み重ねが、今回のアクシデントに対しても、即応出来た要因では無かったかと振り返っています。ミスに対する改善は当然必要なのですが、起こってしまった事に対する対応力が、今回問われた様に思います。

後も人とソフトで、勝負して行きたいと考えております。

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編集長_本日はお忙しい中、長時間に渡り、誠にありがとう御座いました。

asakura_inadashihainin_tact-2.jpg連絡先                                                     麻倉ゴルフ倶楽部                                                       〒285‐0077                                                                   千葉県佐倉市内田670                    

TEL 0434-98-6630 / FAX 0434-98-6633

                                                              


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Mr.izumi_tact-top.jpg2015年5月初旬、エージシュートを326回達成されている和泉覚氏を訪ねて、様々なお話を伺って参りました。                                               南部富士株式会社の社長である森澤良久様のご配慮により、 南部富士カントリークラブ・レストランにてインタビューさせて頂きました。                                           82歳にして今なお熱き心をお持ちの和泉氏です。

                                        【 ご経歴 】                                1933年01月 生まれ                                                   1985年08月 52歳にして初めてゴルフの練習開始                                    1985年09月 松島チサンカントリークラブに於いて初ラウンド_スコア138                          1993年03月 国家公務員 退職(60歳)                                                            2003年05月 盛岡カントリークラブに於いて初エージシュート達成(70歳にしてスコア70)

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【 エージシュート達成の足跡 】                                               ☆ 70歳_02回 ( 平均ストローク 70.00 )                                                            ☆ 71歳_02回 ( 平均ストローク 69.50 )                                                             ☆ 72歳_06回 ( 平均ストローク 71.16 )                                                                  ☆ 73歳_13回 ( 平均ストローク 72.15 )                                                                   ☆ 74歳_16回 ( 平均ストローク 72.37 )                                                                       ☆ 75歳_17回 ( 平均ストローク 73.52 )                                                            ☆ 76歳_28回 ( 平均ストローク 74.14 )                                                            ☆ 77歳_46回 ( 平均ストローク 74.58 )                                                                   ☆ 78歳_58回 ( 平均ストローク 75.84 )                                                                ☆ 79歳_45回 ( 平均ストローク 75.95 )                                                                ☆ 80歳_31回 ( 平均ストローク 77.96 )                                                                       ☆ 81歳_62回 ( 平均ストローク 77.74 )                                                                  ☆ 82歳_2015年中、400回達成を目標に記録更新中。

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【 戦績記録 】                                                           ☆ 南部富士カントリークラブ                                                                             シニア選手権  優勝2回 / 準優勝1回                                                                             Mシニア選手権_優勝5回                                                                           Gシニア選手権_優勝5回 / 準優勝3回

☆ 盛岡カントリークラブ                                                                                シニア選手権  優勝1回 / 準優勝1回                                                                                Mシニア選手権_優勝5回 / 準優勝2回                                                                           Gシニア選手権_優勝3回

☆ 盛岡ハイランドカントリークラブ                                                                          Gシニア選手権_優勝4回 / 準優勝2回

☆ 岩手県アマチュアゴルフトーナメント                                                                         シニアカップ  優勝5回 / 準優勝2回                                                                         Gシニアカップ_優勝2回 / 準優勝1回

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☆ 岩手県シニアゴルフ選手権競技                                                                        1995年 宮古カントリークラブ_4位                                                                            1997年 岩手ゴルフ倶楽部_準優勝

☆ 岩手県ミッドシニアゴルフ選手権競技                                                                        1998年 盛岡カントリークラブ_優勝                                                                               1999年 一関カントリークラブ_5位                                                                            2000年 八幡平カントリークラブ_優勝                                                                                   2001年 安比高原ゴルフクラブ_7位                                                                               2002年 盛岡ハイランドカントリークラブ_優勝                                                                   2003年 岩手ゴルフ倶楽部_準優勝

☆ 岩手県グランドシニアゴルフ選手権競技                                                            2004年 盛岡カントリークラブ_準優勝                                                                2005年 盛岡ハイランドカントリークラブ_優勝                                                          2006年 南岩手カントリークラブ_優勝                                                             2007年 盛岡南ゴルフ倶楽部_優勝

☆ 東北シニアゴルフ選手権競技                                                                            1995年 青森ロイヤルゴルフクラブ_40位                                                                      1996年 仙台カントリー倶楽部_20位

☆ 東北ミッドシニアゴルフ選手権競技                                                               1998年 秋田太平山カントリークラブ_優勝                                                            1999年 泉国際ゴルフ倶楽部_3位                                                                             2000年 岩代・小浜城ゴルフ倶楽部_3位                                                                           2002年 山形ゴルフ倶楽部_11位

☆ 東北グランドシニアゴルフ選手権競技                                                                  2003年 小名浜カントリー倶楽部_優勝                                                                   2004年 びわの平ゴルフ倶楽部_2位                                                                   2005年 富谷カントリークラブ_2位                                                             2007年 矢吹ゴルフ倶楽部_3位

☆ 日本ミッドシニアゴルフ選手権競技                                                            1998年 岐阜関カントリー倶楽部_23位                                                                       1999年 宮崎カントリークラブ_26位                                                                             2000年 利府ゴルフ倶楽部_23位

☆ 日本グランドシニアゴルフ選手権競技                                                                              2004年 名古屋ゴルフ倶楽部_10位                                                              2005年 伊都ゴルフ倶楽部_準優勝                                                                     2006年 エリエールゴルフクラブ松山_31位                                                           2007年 小金井カントリー倶楽部_29位

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編集長_ゴルフをお始めに成ったのは、52歳と遅かったんですね。                                                                 和泉氏                                                                             そうです。52歳の夏から始めました。ゴルフと出会う前までは、スキーを一生懸命やっていて、資格を取ろうと思っていました。スキーとゴルフは、春と秋に重なる時期が有りますから、なかなか目がいかなかったと言うのも有りましたね。

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編集長_ゴルフとの出会いは?                                                                 和泉氏                                                                                      職場ではゴルフをやっている方が、多かったんです。話題がゴルフとなると、自慢話をする方も多かったですね。ショットの話やスコアの話です。ある時、職場のコンペが有りまして、そこへ(写真を撮ってあげます)と言う事で、自主的に参加したんです。

自分の心の何処かに、少し興味が有ったのかも、知れませんね。実際にプレーが始まると、皆さんの自慢話とは裏腹に、チョロする方もいて、散々なゴルフを見せられました。

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編集長_ゴルフに初めてふれられたのは?                                                               和泉氏                                                                                      2回目にカメラマンとして参加した職場のコンペでした。参加者のお一人が急遽、緊急の用事が出来、ハーフで上がられたんです。空きが出来たと言うのも有りますが、その時ビデオを撮りながらですが、少し打たせてもらったんです。

そうしたら、当ったんです。当たるじゃないか! と思いましたね。チョロしたり空振りしたりと、不思議なスポーツだと思いながらも、それが始めるキッカケに成りました。

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編集長_それから本格的に取り組むように成ったんですね。                                                    和泉氏                                                                            そうです。その年にクラブを全て取り揃えたのですが、当時ドライバーはパーシモンでしたね。スコア的には一年で職場の同僚に、追いつく事が出来ました。

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編集長_間もなく阿武隈ゴルフ場の会員に成られたのですか。                                                    和泉氏                                                                                      当時はゴルフ場が混雑していて、予約を取る事自体が大変でした。やっとの思いでスタートが取れたとしても、一人でもキャンセルしようものなら、キャンセル料を取られた時代でしたね。

それで阿武隈ゴルフ場というパブリックの、年次会員に成りました。ハンデキャップももらえたのですが当初は24でした。それから20までに成りました。

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編集長_その後、南部富士カントリークラブに入会されたんですね。                                                   和泉氏                                                                                 現在は3コースの会員に成っていますが、南部富士CCへは1991年の職員時代に入会しました。 私にとって最初に会員と成ったクラブです。 当時の会員権価格は高かったですね。確か200万円程した様に記憶しています。                                                                                     南部富士カントリークラブは気に入っているコースの一つです。これよりも厳しいコースは、他に無いと思っています。ですから他コースへ行くと易しく思えるんですね。

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編集長_シングルプレーヤーに成られたのはいつからですか?                                                        和泉氏                                                                                          シングルに成ったのは60歳_1993年の時です。年間60ラウンドして、平均スコアが82.71と言う内容で、ハンディキャップ9を頂きました。

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編集長_定年退職後から、メキメキと上達されたとか。                                                                   和泉氏                                                                                     60歳で定年退職と成り、職場の同僚は第二の人生として、新たな職場へ就く方もおられました。しかし私は、その選択をせずに、退職後はゴルフとスキーで1年間を過ごすと、決めておりました。

4ヶ月がスキーで8ヶ月がゴルフと言うパターンです。 その年からスコアがどんどん良く成って行きましたね。

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編集長_ゴルフを始めて定年まで8年間有るのですが、どの様なゴルフでしたか?                                                          和泉氏                                                                                       ゴルフを始めて2年位は、ブーメランと言われました。 極端なスライスです。 OBゾーンからフェアウエーへ戻って来るボールでした。

茨城での教官時代                                                                                 仙台から茨城へ転勤した頃です。 確か55歳か56歳だったと思います。レッスンプロから指導を受けたのですが、私の打ち方を見て、スイングは気にしないで、お年だから無理はしない方が良いです」と言われたのです。それ以外にプロからは、特別なご指導を頂いた記憶は無いですね。

茨城時代は学校の教官だった事も有り、比較的時間のやりくりがつきました。 官舎の脇にネットを張って、昼休みなど空き時間をみつけては、練習していました。

パブリックの試合へ出場                                                                          茨城へ転勤したその頃、パブリックの試合に出てみました。シングルプレーヤーの方とご一緒させて頂きました。私はその方に私の練習方法などを、一生懸命に話したと思います。 しかしながら反応は良く無く、それどころか若干、嘲笑された様に受け取れたのです。

その時、確かに私の気分は良く有りませんでしたが、後で良く考えた時、あなたの練習方法は間違っていますよ。と言う事を、私に伝えたかったのでは無いかと、理解したのです。今振り返ると自慢話をした事が、大変に恥ずかしく思います。

それを契機に私は、かなり変わったと思います。 その位の出来事でしたね。パブリック競技へ出た経験から、ベースに成るスイングを変えようとして、相当スコアは悪く成ったのですが、レッスンプロなどからは、その内に良く成りますよと言われていました。

師匠は杉原輝雄プロ                                                                           当時は良くテレビで、ゴルフのレッスン番組が放映されていました。 録画しては常に見ていました。中でも杉原輝雄プロの番組は欠かさずに見ましたし、自分なりにそのレッスンを取り入れて練習しました。

特に杉原プロのパッティングは良く勉強しましたし、五角形にかまえるアドレスは参考に成りました。ギアも杉原プロが使用していたマレット型パター、いわゆるカマボコ型のパターを使用していましたね。 同じものではないでしょうけど。

時々仲間からは、杉原プロに似ている、と言われる事も有りました。パッティングで言えば、女子の大迫たつ子プロが説いていた握り方なども、大変参考に成りました。お二人に共通するパッティングの真髄を、私が感じ取っていたのかもしれませんね。

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編集長_南部富士CCのクラブ対抗選手に選ばれたのは何時からですか?                                                      和泉氏                                                                                         61歳の時にハンディキャップが5に成りました。 その時にクラブ対抗の選手に選ばれました。南部富士CCは東北のクラブ対抗で優勝5回の実績が有るのですが、その様な実績をつくりあげてきた選手の方々は、当然レベルの高い方々ばかりです。

選手に選ばれたとは言え、向上心を持って、常に上を見ていたと思います。モチベーションが下がる事は無かったですね。

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編集長_クラブ対抗戦が、一番緊張されるとか?                                                        和泉氏                                                                                       通常の試合では極端に緊張する事は有りませんが、 クラブ対抗戦は緊張します。団体戦は緊張しますね。スタートホールから3から4ホールはクラブ関係者が見ていますので、早く見えない所へ行きたい衝動に駆られます。

南部富士カントリークラブは県大会でも、東北大会でも優勝しており、私もその一員でしたが、ボールが見えない位、頭の中が真白く成って仕舞って、空振りするのではないかと緊張してスタートして行った事も有りました。

80が目安なんです。 80を切らないとダメなんですよ。 そこが厳しい。監督さんにも、ゴルフ場社長の森澤さんからも、そこを指摘されるんですが。とにかく自分との闘いですね。選手はほとんどの方が、団体戦は緊張する、と言われてますね。

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編集長_一番思い出に残る試合は何ですか?                                                         和泉氏                                                                                    やはり一番の思い出は、2005年度(第12回 )日本グランドシニアゴルフ選手権競技です。優勝した山本さんに一打及びませんでしたが、二日間競技を通じてスコア70は、べストグロスとエージシュートを達成し、生涯出来の良かった最高の試合でした。

ですから名刺などには、この時の写真を使わせて頂いております。

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編集長_70歳にしてスコア70でまわると言うエージシュートを達成されましたね。                                                          和泉氏                                                                                              はい。 盛岡カントリークラブでした。2003年5月29日でしたが、OUT33、IN37のグロス70でした。二度目が同じく2003年9月に小名浜CCで開催された、東北グランドシニアの大会でした。 この競技はシニアとグランドシニア共同のティーングランドを使用したのですが、合わせても二位の成績でした。

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編集長_昨年迄で326回達成と言う事ですが、今年に入ってからは如何ですか?                                                           和泉氏                                                                                       今年に入って昨日、5月3日迄に12ラウンドして、11回達成しております。ですから合計337回に成ります。73が2回有りますが、85が1回出てしまいました。

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編集長_エージシュートに関する当面の目標を教えて下さい。                                                        和泉氏                                                                            やはり当面の目標は500回です。今年中に400回を達成したいと考えておりますが、何と言ってもラウンド数が問題になるんですね。降雪の関係も有りますが、今年90ラウンド出来れば、来年500回の可能性は有ると思っています。

あくまでも健康であるとか、技術で有るとか、現在の状況に大きな変化が無い事を、前提にしていますが。

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編集長_エージシュートに関するお考えをお聞かせ下さい。                                                              和泉氏                                                                                     エージシュートと言うのは、何と言っても年齢、加齢との闘いだと思うんです。年齢60歳にして、スコアが60、或いは59でラウンド出来るかと言うと、これは無理ですね。やはり可能性が出て来るのは、一般的に70歳過ぎからではないでしょうか。

しかし70歳過ぎと成れば、体力や気力の衰えが、一般的には目立ってきますし、ましてゴルフの高い技術を維持して行く事が、大変だと思いますよ。加齢に対して技術の衰えが無い事、これが数多くエージシュートを達成して行ける要因だと思います。

技術の衰えが無ければ、毎年一つ一つハンデをもらっている様なものですから、回数も当然増えますよ。

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編集長_エージシュートの話題が、最近多くなって来た様に思いますが。                                                       和泉氏                                                                                      健康寿命が長く成って来たのが、背景にあるんだと思います。平均寿命が70歳の社会では、当然これは考えられませんでしたよね。

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編集長_エージシューターの方のニュースも多く成りました。                                                         和泉氏                                                                                エージシューターと言う方は、全国で探せばかなりの数のプレーヤーが居るんだと思いますよ。岩手県の仲間には、全国など多くの大会を制覇した方が、沢山居られます。             その様な方々は、当然何回もエージシュートを達成している事と思います。 その様な方々とお話していると、何回ぐらいやりました、何回ぐらいでしょうと漠然とした回数のみで、正確な記録が無いんです。

私の場合エージシュートの都度、大会名を記したスコアカードを自分自身で記録・整理している関係から、回数が確認出来るんですね。

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編集長_記録達成には、ご家族の支えが、大きいのではないですか?                                                   和泉氏                                                                                      そうなんです。妻には常に感謝の気持ちを持っています。妻が私のゴルフやスキー等の、スポーツで消費する体力面を考えた食事を、日々作ってくれています。この食事が無く成ったらどうなるのだろう? と不安な気持ちに成る事も有ります。

私には更にもう一つ、仲間から羨ましがられている事が有るんです。 それはですね、妻が気持ち良く送り出してくれる事なんです。仲間から良く聞く話は、今日もゴルフですか!とご家族から嫌味を言われる、と言うんです。 そしてこれが何よりも辛いと。

私の場合、妻は結果を求めませんし、今日一日楽しんで来て、と送り出してくれます。ですから自発的に私から、今日はお土産有る、無し、と帰り際にメールしています。

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編集長_失礼なお話で申し訳御座いませんが、全国大会出場となると出費もかさみませんか?                                                                            和泉氏                                                                                 地元の大会はともかくも、地方で開催される大会などに出場するには、やはり費用が気に成ります。出費に関して多少の個人差は有るんでしょうが、20万円から30万円はかかりますよね。

地方で開催される大会へ出場する予選会の初日で、上位に入ってしまうと出費が気になります。1日目が終わって成績が良かったので、勝っても良いか)とTELした事が有ります。(せっかくだから頑張れと言われて気合いが入りましたね。 全日本出場は総てです。

ミッドシニアの大会などで、東北大会から全国大会へ出場出来るのは、5人から6人です。選出されて全国大会をキャンセルしようものなら、翌年から出場枠へ影響が出るのでは無いかと、考えてしまいます。遠征費用の事で仲間、東北の選手達に迷惑をかけたく無いですね。

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編集長_奥様の支え無しに記録達成無しと言う事が解かりましたが、健康管理はどうですか?                                                                        和泉氏                                                                                  健康管理と言っても、特別な事はしておりません。私は生まれつき体が、丈夫なのだと思います。 この点は大変親に、感謝しています。例えば私は18歳から身長が、変わりません。良く加齢と共に背が低くなると言うお話を伺うんですが、私の場合は全く影響無かったですね。

背骨の軟骨が、擦り減らないんだと思います。又、良く腰が痛いと言う話が、話題になるんですが、私の場合全く腰は痛く成らないんです。家族の病気や自分の病気は、ラウンド数に影響しますし、結果記録にも響いてきます。

私はかつて大病と怪我で、二度ほど入院を余儀無くされた事から、それは良く理解出来ます。現在は健康でゴルフに取り組めている事が、エージシュート記録更新となっています。私は毎年年賀状にゴルフとスキーの写真を入れて出しているんですが、同年代では体調を崩している方が多い中で、自分だけ元気で良いものか? と自問自答する事も有りますね。

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編集長_ここ4?5年東北大会への参加を、見合わせているとの事ですが?                                                  和泉氏                                                                                   お腹の調子が良くないのです。若い時、20歳頃だと思いますが、痔の手術をしているんです。 専門医曰くその影響も有るのかもしれません。朝のトイレの不安定さから、遠い大会への出場は躊躇してしまいますね。

県代表大会の場合、宿泊施設を主催者側から指定されます。 そこから朝、指定されたバスに1時間ほど揺られて会場入りすると言う事だと、自分の都合でバスを途中で止めてもらう事が、出来ませんからね。

名古屋で開催された全国大会の時は、岩手県から自分の車を運転(仙台から名古屋港フェリー)して行きましたが、その方がリラックス出来ました。

最近ある医師から処方された整腸剤を服用しておりますが、これが大変良い方向へ来ており、助かっています。しかし現在は、遠くで開催される大会への参加は、様子を見ている状態ですね。 ただ東北管内など車で行ける大会へは、参加する様にしています。

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編集長_今年も既にエージシュートを11回達成されていますが、普段の練習を教えて下さい。                                                                           和泉氏                                                                                      家の庭には、距離15メートルぐらいですが、練習場を造って有ります。ゴルフへ出かける時は、家の練習場で体調を確認する為に、30球ぐらい打ちますね。ゴルフシーズン始めには、朝、昼、夕方に200球ぐらいづつ、打ち込みをやっています。

ドライバーも勿論打てますが、良くアプローチを練習しています。アプローチがしっくりと行かない時は、夜中でも寝つけずに、確認の為に練習しています。町の練習場へは、ここ10年から15年ほど、通った事が無いですね。

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編集長_今年からスイングを改造していると、伺ったんですが。                                                             和泉氏                                                                                   2014年9月頃に岩手大学の八木一正教授が、私や仲間のスイング写真を撮ってくださったんです。その写真などを見ながら、仲間内で研究していたのですが、私のスイングに関しては、少し突っ込み気味になっているんです。

これではいずれ又ブーメランに成ると考えていて、飛ばなくても良いから、右肩が突っ込まないスイングへ修正したいと思っているんです。思い切ったスイングが出来ない不安も有りますが、良い方向へ改造出来ている様に思います。

私の改造に対して2、3日前も仲間から、あれっ、何処か違うな!と言われたんです。嬉しかったですね。

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編集長_八木教授からは、どの様に言われているのですか。                                                             和泉氏                                                                                      兎に角記録を残して下さい、と言われています。ですから様々な大会へは、カメラとパソコンを持参しています。練習ラウンドでは、カメラで18ホールを撮影しており、常にパソコンへデータ入力しているのですが、これはコース攻略を考えるのに役立っていますね。

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編集長_道具_ギアには凝る方ですか。                                                                    和泉氏                                                                                   クラブは様々なものを使って来ましたが、ことドライバーは打感重視で選んでいます。全てのクラブに共通するこだわりは、グリップです。 このグリップが若干ウィークに入っていないとダメなんです。

特にアプローチで使用する頻度の高いクラブ番手は、絶対的にウィークでないとダメですね。交換用のグリップは常に買い置きして古くなったものを自分で交換しています。時には知り合いの方のも、交換してあげていますよ。

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編集長_3度目のホールインワンを狙っているとか?                                                               和泉氏                                                                                    ゴルフを始めた頃に1回と、しばらくしてからの2回目と合計2回、ホールインワンを達成しております。当時保険には入っていませんでしたが、現在は入っていますので安心です。今は3回目のホールインワンを期待してチャレンジ、狙っています。

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編集長                                                                                         和泉さんは60歳から79歳までの20年間で、1,605ラウンドしております。そしてその年間平均ラウンド数は80.25ラウンド。                                                       合計ストロークは126,170、平均ストロークは78.61でした。鉄人的記録です。

先程お話にも出ましたが、当面の目標はエージシュート500回ですね。

和泉氏_そうですね。 来年にはエージシュート500回を、達成したいと思います。                                                         編集長_本日はお忙しい中、長時間に渡り、誠にありがとう御座いました。

Mr.izumi_tact-1.jpg連絡先                                                                南部富士カントリークラブ                                                 〒028‐7111                                                       岩手県八幡平市大更47‐34‐2                     

TEL 0195-76-3151 / FAX 0195-76-3617

                                                                                                                                                                                                                                                  


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Mr.Furuhata_tact-2.jpg静岡県の南富士カントリークラブを再建すべく、 2007年に(株)南富士カントリー倶楽部の代表取締役へ就任した古旗邦夫氏の取り組みは、業界内外で高く評価されております。                                              2015年2月初旬に私は、その再建_再生に向けた具体的なお話を、古旗氏を訪ねて伺って参りました。

                                          【 ご経歴 】                                            大学卒業後、(株)リクルートへ入社。                                           入社後は営業活動に従事するも、間も無くゴルフ場建設の為、岩手県の安比高原へ赴任。                           安比高原ゴルフクラブは、1974年に工事着工し約4年後の1978年に開場したのですが、氏は着工前から現地に赴任し、設計家である新井剛氏の指導を受けて、 測量、伐採、排水、土木全般、植栽などのトレーニングを受けたとの事。

安比高原を東北の軽井沢にすると言う経営方針の元に、氏はリクルート創業者の江副浩正氏の指揮の下で、設計、企画、集客と勉強を重ね、一から物造りに励まれた。                                                                 ゴルフ場開場後はグリーンキーパーを経験するも、その後、総務経理、技術部門の責任者としてご活躍。                                             氏は在籍期間約25年の内、ゴルフ場は54ホールを造り上げ、100ヘクタールのスキー場を造り、ホテルも6棟建設し、更に別荘の分譲も行った。

古旗氏は安比高原ゴルフクラブを2000年5月に退職し、 その後ユニマットグループへ転職され、2002年からは(株)スポーツ・クリエーションの取締役、2007年に代表取締役へ就任。

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編集長_南富士CCの再建を、ご担当される事に成った経緯を、教えて下さい。                                                        古旗氏                                                                                       2007年当時、南富士CCの債権者は、ある銀行さんでした。銀行さん曰く、当ゴルフ場は価値が無く、バリューアップしたいので、力を貸して欲しい、とのお話でした。銀行さんの依頼でゴルフ場再建が、始まりました。

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編集長_社長に成られたのは、何時からですか?                                                                     古旗氏                                                                             2007年です。再建に当たり、私の会社である(株)スポーツ・クリエーションが、南富士の全株式を取得しましたので、当初より代表取締役として赴任しました。

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編集長_どの様な方針で臨まれたのでしょうか?                                                                                古旗氏                                                                                バリューアップへ向けての第一ハードルは、法的整理をする事無く、誰一人解雇する事無く再建する、と言うものでした。その為には、兎に角、集客をアップさせる必要が有りました。

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編集長_当時の集客状況は、どの様な内容でしたか?                                                                    古旗氏                                                                                         来場者の構成は、横浜方面70%、地元30%と言うものでした。会員構成も当然その様な内容でした。                                                      当ゴルフ場は、発足当初の会員募集を、横浜を中心に行ったんですね。横浜に営業所が有り、地元には目もくれない、と言う状況が目に浮かびます。

2007年当時、近隣地区のゴルフ場では、年平均約37,000人を集客していました。しかし、当ゴルフ場では33,000人から34,000人でした。

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編集長_では社長の集客方針は、どの様なものを打ち出されたのでしょう。                                                          古旗氏                                                                              地元へ軸足を移す事でした。地元には、大手法人の支店や工場が有りました。 この地元の法人関係や、地元会員のニーズを掘り起こす事に着手しました。                                                                      例えば、工場の従業員の方が、来場時に組合員証を提出して頂ければ優遇する、 その為に労働組合との契約を締結する事で有るとか、企業コンペ誘致ですね。

この様な地道な取り組みを通じて、年間来場者数を35,000人から36,000人へUPさせて行く事が、第一歩でした。

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編集長_集客活動と共に、スタッフの問題も再建にはとても重要だと思うのですが?                                                                   古旗氏                                                                          そうですね。地元の高校を回って、毎年2名前後の新人を採用して、フロント、マスター室、レストラン、コース管理などへ配属して行きました。新しい企業理念を吸収した若い人材を現場へ配置し、世代交代をすすめました。

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編集長_2010年12月には法的整理へと、舵を切る事に成るのですが。                                                                 古旗氏                                                                           そうですね、当初は集客数UPへ向けた営業活動と、適材適所での人事異動を行い、若干の変化は見えて来るのですが、やはり同時に問題点も見えてくる訳です。そうするとこの問題点の根本的な解決方法は何かと問うた場合、やはり法的整理以外には、その選択肢は無かったんですね。

当ゴルフ場では、民事再生法を選択したのですが。

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編集長_一口に民事再生と言っても、現場は大変だったのでは無いですか?                                                               古旗氏                                                                               2011年初頭は再生手続きの真っただ中で、例えば債権者集会とかが有り、方向性が見えるまでに約半年かかりました。大変でした。

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編集長_先ず最初に人事の問題が出てきたとか?                                                                     古旗氏                                                                           そうなんです。再生手続きの過程で、まず人事の問題が出て来ました。責任者クラス、例えば支配人、営業部長、料理長、グリーンキーパー、キャディマスターなどの所謂幹部クラスの問題です。

この幹部クラスの体制を組み直さないと再生は無い、と言う危機感を感じましたね。幹部の人達や古くからのスタッフの考え方を、変えられるのか? これからやろうとしている事についてこれるのか? この点が一番のポイントでした。

ご理解頂いた方は現在も残っていますし、残念ながらご理解頂けなかった方には、交代してもらいました。

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編集長_労働基準監督署にも随分通われたとか?                                                                            古旗氏                                                                                 民事再生手続き中に、労働基準監督署が入って来まして、しっかりと経営されているか、労務管理されているかとチェックされました。従来のものから新しいものへ創り上げるのですが、何度もやり直しを命じられました。

何度も労基署へ行って頭を下げては、半年間かけて全く新しい就業規則を作りました。

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編集長_ゴルフ場はある意味、サービス残業で成り立っている部分が有りますよね?                                                                      古旗氏                                                                                     そうですね。確かにそうなのでしょう。 これはゴルフ場業界全体の問題かもしれませんね。しかし私のゴルフ場では、その様な慣習に甘んじる事は、出来ませんでした。

南富士の場合、週休二日週40時間労働を守った内容で、全部体制を組み直しました。この点が何と言っても大変!これが普通、クリア出来ない。この内容をクリア出来るか否かと言う点が、非常に会社の命運がかかっていた、と言えますね。

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編集長_ゴルフ場運営は、労基法の問題だけでは無いですよね。                                                                古旗氏                                                                                     はい。保健所の問題、或いは消防の問題、全てこれらをクリアしているのか、どうか?関連する法律を全てクリアして行く事は大変な事ですし、その上で利益を出して行く必要が有りますね。

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編集長_法律にのっとった体制づくりの後、次はクラブハウスなどの修繕ですね。                                                         古旗氏                                                                                 そうですね。民事再生の手続きを終えて、再生計画がスタートして間もない、一年も経過しない時でした。厨房施設、お風呂、衛生施設などの大規模修繕を行う事にしたのですが、結果的に2億数千万の費用がかかりました。

修繕会議では、建て替えても同様の金額で済むのでは無いか、と言う意見も出ましたね。大変な額の費用を必要としましたので、社内的には疑問視されて、又役員からは反対され四面楚歌の状態でした。

要するに採算に合うのか? キャッシュフローが出るのか? と言う問題です。問題ないですよ、と説明するのにはハードルが高くて、決死の覚悟で臨みましたね。

自分の人生で経験した40年分を全てつぎ込む覚悟で臨みます、と宣言してしまいました。この修繕時に、保険所、消防法の問題をクリアしました。

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編集長_法的問題もクリアしハウスも修繕し、体制が整う訳ですが、担う人の問題は重要ですよね。                                             古旗氏                                                                             ゴルフ場には各セクションの壁が有ります。 例えばフロント、レストラン、マスター室、コース管理、事務所と。この壁を崩せないゴルフ場・企業が、システム疲労を起こし、悪く成って行く様に思います。

ゴルフ場で大切なのは、お客様です。従業員全員で、お客様をおもてなしする、この事に部署は関係ないんです。スタッフに限りは有るものの、各部署への配置は必要です。そうしますと、どの部署でも過不足は出ます。 そこをどの様に補うのか、忙しい時間帯に成った部署を、持ち場に関係なく皆で助け合う、この意識改革が重要です。

この点を企業風土として創り出して行く事、これが再生の大きなポイントでしたね。

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編集長_少し具体的に教えて下さい。                                                                     古旗氏                                                                               全員がどの部署もこなせる様に、四六時中ローテーションを組んでいました。若い人は出来るのですが、ついてこれなかった方も沢山いましたね。これからは一人三役とか、普通ですよ。これが出来なければ、ゴルフ場と言う商売は出来ませんね。

スタッフのスキルアップが、絶対に必要です。ローテーションを組むに当たっては、従業員に良く説明しました。 今後はこの様にして行かないと、ゴルフ場運営は出来ない事をね。

実際行って行くと、シフトで組めない部分が出てきます。 この点は他の部署からの応援で、何とか処理出来る様に成りました。例えば、お昼時のレストラン例えば、コンペ時の宴会例えば、朝夕のバック運び など、これは訓練次第で出来る様に成りました。

ゴルフ場に於けるお客様の流れは、従業員誰でもわかる様になります。 今、何処が忙しく、何処が暇か、そこを皆で柔軟に対処して行く事なんです。例えば、先日雪が降ったんですが、雪かきに料理長も出て来ました。

朝早くから雪をとかさなければ、お客様を迎えられない、と言う気持ちになり、全員総出で雪かきをやりました。結果は、夕方には終わり、翌日にはオープン出来ました。

大切な事は、全員でお客様を迎える、と言う意識ですね。全員が同じ方向を向いて取り組んでいく、この様な意識改革なくして、再生は無いでしょうね。この様な意識が芽生えて来たのは、3年前ぐらいからでしょうか。 2012年ぐらいからですね。

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編集長_少し脱線しますが、雪かきにはノウハウが有るとか。                                                                      古旗氏                                                                                   雪かきには、ノウハウが有るんです。どうしたら一番早く除雪出来るかを、考えて工夫しています。溶かし方の技術には、お金をかけています。 これは一概にお話出来ない部分なのですが。

良く他コースで聞くのは、1.仕方ないから、そのまま 2.雪は寄せるな と言うものです。しかし私のところでは、少し違います。 この点に付いても研究をし、全員で協力しております。

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編集長_先程ハウスへの投資を伺いましたが、投資に関する基本的な考え方を、お聞かせ下さい。                                                                                       古旗氏                                                                                        再建に当って、ハードとソフトその両面への投資は、不可欠に成ります。 そしてこの両輪がかみ合う事、ハードとソフトへの投資が相乗効果をもたらす事、これが大切だと考えています。予算は限られている訳ですからね。

ハードの面で言えば、何に投資して行くのか。 この点が問われのです。良く聞くのが、玄関前エントランス部とか、フロント、ショップ回りだけ等ですが、外見上のものへ投資するケースです。

私はもっと本質的な設備や、お客様の導線を重視しています。お客様が実感してくれるサービス、その様なものへ投資して行く事が大切だと思いますね。内容の薄いものは、お客様に見透かされますよ。

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編集長_コースへの投資は、どの様にされて、現状は如何ですか?                                                               古旗氏                                                                        コース管理にも、お金をかけています。他コースでは管理体制を縮小していると、良く聞きます。 人手を減らし予算を減らす、これは通常のコストカットの手法ですよね。                                                                          しかし南富士では、人も増やしお金もかけています。 簡単に言えば、倍ぐらい増やしていますよ。

南富士へ来場したお客様は、ゴルフ場の内情を解かりませんよね。 しかし、コースがいつの間にか綺麗になっていると、喜んで頂いています。古い会員の方が久々に来場されて、こんなに綺麗だったかなと、喜んだ声を聞くのが何よりも嬉しいですね。

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編集長_コース管理の手法を少しお聞かせ下さい。                                                                             古旗氏                                                                         先ず、明るいゴルフ場にしましょう! と言う事でやっています。余分な木は切っています。残地森林率として50%は残さなければならないと言う規制は有るんですが、森林は成長し過ぎると芝がダメになってしまうんです。暗いゴルフ場に成ってしまうんです。

密度の高い森林は間伐が必要であり、毎年200から300本は切っています。 計画的に切っています。切る事によって風通しが良く成り、日当たりも良く成る。 結果としてゴルフ場が明るくなり、芝が良く成り、プレーヤーもラウンドし易く成りました。

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編集長_一口に木を切ると言っても難しいですよね。                                                                                古旗氏                                                                             例えば、会員や理事会に反対されて切れない、と言う場合が有ります。究極的な意見として良く聞く話は、設計家の意図に反するからダメ、などです。                                                                             この様な神がかり的な話になってしまうと、その意見に反してまでも木を切ろうと言うキーパーは、少ないですね。

大切な事はゴルフ場の芝のメンテナンスであり、プレーのし易さに成る事です。陽当たりを良くし、風通しを良くする事に尽きるんですね。 適切な間伐無くしてゴルフ場は芝のメンテナンスを出来ません。                                                        これがコース管理の指針と言えるものです。ただどの木を切れば良いのかは、熟練とノウハウが必要です。 この点が難しいのですが。

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編集長_最近の傾向であるプレーフィの値下げ合戦に付いては、どの様に対処されていますか?                                                                    古旗氏                                                                                そうですね。 私の南富士周辺でも、プレー代金の値下げ合戦は、激しいですよ。しかしこのままでは、当ゴルフ場も値下げ競争の波に呑まれてしまう、と言う危機感が私には有りました。そこで打ち出したのが、次の3点です。

1、コースを良くする。                                                                         2、料理を美味しくする。                                                                                       3、サービスを向上する。

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編集長_先ほど明るいコースへ改造している事を伺いましたが、更なる改良点を教えて下さい。                                                                              古旗氏                                                                                 そうですね、運営上の改良点も含めて、お話します。

1、ティーングランドの改良                                                                       芝で言えばティーングランドが、今一番の自慢ですね。以前はコーライ芝を使っていて、踏圧やディポット跡がひどくて、裸地状態になっていましたが、現在は年間を通じて青々としています。お客様からも非常に評判が良いですね。ダメージからの回復力も早く、不思議な芝です。

下地にはティーを何処でも刺せる、人口マットを敷いています。

2、灰皿撤去                                                                         ティーングランドから全て、煙草の灰皿を撤去しました。煙草の吸殻は、乗用カートの吸殻入れへ、捨てる様にしました。                                                                                      灰皿を撤去する事に付いては、社内でも反対意見が出されましたが、集客には全く影響は出ていませんね。

3、新グリーンへ向けた実験                                                                     酷暑対策として、対応出来る新しい芝種を選定する為に、試験を日々行っています。一番良い結果が出たものを、採用する予定です。

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4、ミストカー                                                                                        2012年夏にヤマハ製のミスト噴射装置付き乗用カートを、20台導入しました。乗車席の上部四隅から霧状のミストが、プレーヤーへ向かって噴射されるものですが、これが夏場にお客様から大変好評でした。                                                                                                  特に高齢者の方に喜ばれましたね。しかし一台当たりの単価が、高かったですね。 近在のコースで導入したと言う話は聞いた事が有りませんね。                                                                         ヤマハの方からのお話ですが、関東エリアでも導入実績は、数コースの様です。

5、カラス除け                                                                                    カラス害と言うのをご存知ですか?カラスはカートの荷物受けにお菓子などが有ると、自然と寄って来るんです。ただ近づいて来るだけならまだしも、万が一お客様へ危害でも加わろうものなら、大変な事に成ります。

この対策として、厚手で黄色のビニールカバーを造りまして、全カートのカゴへ蓋として取り付けました。 カラスは黄色が見えないらしいんです。結果としてカラスが、カートへ寄らなく成りました。

6、霧対策                                                                               南富士のおかれた気象環境は、富士山との関係から、どうしても霧が発生し易いエリアなんです。これはこの近在のコース全てが、同じ様な状況ではないでしょうか。                                                                   この霧対策として、グリーン奥へ、工事用の回転灯を設置しました。

キーパーの発案だったのですが、プレーヤーがグリーンを狙うに当たって、グリーンの方向を確認出来れば、打ち易いのではないか、と考えたからです。霧が有っても、少しでもお客様が気持ち良くプレー出来る様にと、考えた結果です。

少しでも良かろうと思える案に付いては、チャレンジ精神で取り組んでいます。兎に角お金はかかるんですが。

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編集長_次にお食事の件を伺えますか。                                                                            古旗氏                                                                                     1、新料理長                                                                         現在の料理長は、箱根富士屋ホテルに22年勤務されていた方ですが、私がお願いして来てもらいました。南富士でラウンドされたお客様が、美味しいと感じてもらえる料理を提供する、それもリーズナブルな料金で、と考えています。

お客様の満足度の高いものを提供する、このスタンスでやっています。具体的には料理長の提案に対して、内容を検討して実行して行く事に成りますが、料理長がやりがいが有ると感じてくれれば、結果はおのずと付いて来ると考えています。

最後は私が、リスクを取ります。 

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2、和食から洋食へ                                                                        現在の料理長に成ってから、それまでの和食中心のスタイルから、洋食へ転換しました。和食と洋食では使用する調理器具が、全く異なるんですね。 ですから全ての調理器具を入れ替えました。

3、動線を変更し働き易く                                                                            レストランホールの動線を、料理長の提案で変更しました。出し口と下げ口を変え、パントリーも変えました。この事により、ホールスタッフの流れが変わりました。 動きがスムースに成り、スタッフも大きな声を出す事無く、配膳などが行えています。

要するにスタッフが働き易い環境に成ったのと、お客様へのサービスも迅速に成りました。

4、料理はバイキングでデザートに力点                                                                       料理はバイキングにして、特にデザートに力を入れています。 ここに至るまでは、私自身大変に悩みました。フルーツ、デザート、サラダ、ソフトドリンクなどの導入、これらを全て当ゴルフ場で賄う為には、メニューの問題、厨房改装の問題、技術の問題と様々な点をクリアして行かなければ、出来ません。まして採算は合うのか?

私の一大決心が必要でした。しかし料理長の提案を実行してみたところ、お客様からの反応が非常に良く、今では導入して良かったと考えております。当然ですが、デザートを造る職人も、新たに雇っております。

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5、コンペはコーヒーとケーキ                                                                        最近はコンペを良く受注しています。コンペパーティーでお酒を出す事は、ほとんど無く成りましたが、代わりにピザとソフトドリンク、コーヒーとケーキなどの組み合わせで出すケースが増えています。

お金をかけずに、質素に行うコンペパーティーが、多くなりました。当然ゴルフ場にとって客単価は下がりましたが、件数は落ちていません。 パーティーまでやって頂ければ、ゴルフ場としては大成功です。

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編集長_次はサービス向上として、特にキャディさんの若返りに付いて、教えて下さい。                                                     古旗氏                                                                                   キャディ無しのセルフで、乗用カートを使用してラウンドするのが、現在の流れと言うか、一般的な傾向と成っています。ゴルフ場によっては、キャディは皆無と言う状況だと思いますよ。

南富士の場合は2013年頃より、十数名いるキャディを減らす事無く若返りを進めて、現在では約30%が20歳代の若いキャディで構成されています。今後も少しずつ、若返りを進めて行きたい、と考えています。 若いキャディは当ゴルフ場にとって重要なツールと言いますか、大きなセールスポイントに成っています。

この点が時代に逆行した言いますか、現在の流れに抗して、当ゴルフ場をアピール出来ていると思いますし、結果もついて来ています。今後、如何に若いキャディを確保出来るかが、私の当面の大きな課題に成っています。

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編集長_実際に若いキャディさんの効能を教えて下さい。                                                                      古旗氏                                                                                      キャディ利用率が、上がっています。キャディを付けると、当然お客様の負担金額が増える訳ですが、なぜしかそうなって来ています。

其の他_1(キャディ付きコンペ)                                                                           傾向としてここ数年コンペの申し込みが、多く成りました。 それもキャディ付きが条件です。一昔前へ戻った様な錯覚を覚えるのですが。

其の他_2                                                                       朝、来場したキャディを希望されていなかったお客様が、玄関口での元気な若いキャディの挨拶を受けて、突然キャディ付きへ変更されてスタートされる事が多いでね。

其の他_3                                                                             高齢者のグループに若者が交じっているケースが、最近散見されます。 恐らく若者をデビューさせる為に、連れて来たのでしょう。その様なグループからも、キャディ付きと言う希望が入りますね。

其の他_4                                                                           若いキャディが先頭をきって、お客様へ挨拶しています。 それに引きずられる様に、勤続年数の古いキャディも挨拶する様に成りました。接客態度が悪いからと、その様な従業員をただ怒っても、命令するよりも、若い人達の影響力は素晴らしく、社内の雰囲気も良く成って来ています。

キャディの若返りが、多くの効能をもたらしてくれていますが、私自身感じる事は、キャディ付きと言う 新しいマーケットを開拓出来ている と言う事です。

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編集長_コースを良くし、食事を美味しく、そして若いキャディさんにした結果は如何ですか?                                                                        古旗氏                                                                                 不安な部分も有りましたが、集客はプラスに成っていますし、単価も上がっています。現在、ゴルフ場は高級化か激安化か、と言う大きな二つの流れが有ると思います。私の南富士は、そのどちらでも有りません。                                                                                       激安ゴルフ場よりは、若干高めに価格を設定しています。 せいぜい1,000円から1,500円ですが。

来場者数                                                                            年間来場者数は、2013年から4万人を確保しています。2014年2月は雪が降って3週間クローズし苦労しましたが、2015年今年は2月初旬で、昨年の倍ほどの実績を残せています。

トップシーズンに1,000人伸ばすのは大変ですが、オフシーズンに1,000人多く入れる事は、可能性が有りますし大切ですね。兎に角集客数4万人を基準に、これをクリアしたいと考えております。

客単価                                                                              客単価は1万円を確保しています。南富士のプレー代金は、土曜日、日曜日が15,000円から16,000円。平日は7,000円?8,000円です。                                                                      近在エリアの他コースからは、そんなに高くて良く出来るな、言われのですが、首都圏方面のゴルフ場からは、そんなに安くて良く出来るな、と言われております。

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編集長_ゴルフ場と言う舞台装置が良く成り、実績も上がっている事が解かりました。それでは現在の来場者の傾向と、集客対策を教えて下さい。                                                                       古旗氏                                                                             当初目標とした地元から半分の来場者を確保する、と言う課題はクリア出来ています。東京からは約2時間かかるのですが、遠い方の来場率は不安定ですね。                                                           最近は、静岡県南部方面からの来場者が、年間を通じて増えている事と、冬場は山梨県からのお客様が増えています。必ず駐車場の車プレートは、チェックする様にしています。

あらゆる集客ツールを活用                                                                               必要と思われる情報発信ツールは、何でも、又常時活用しています。大きな特徴は、大手の集客ツールを活用したエントリーよりも、当社のホームページから入ってくる予約が多い事です。                                                                            これは当ゴルフ場を良くご利用して頂いている方からの、再エントリーだと考えております。

来場者の特典                                                                                          会員及びビジターには、それぞれ特典が有る様にしています。

お客様から寄せられる声は宝の山                                                              WEBには様々な書き込みが有ります。 目をつぶりたく成る様なお話も有りますし、おほめのお言葉も有ります。このご意見を基に如何に修正、改善して行けるかが、勝負だと考えておりますので、社内でのミーティングは、欠かす事が出来ません。

クレームの様なご意見を避けて通る事無く、その言わんとするところを考え、有効な対策を打つ様にしています。お客様の評価ですが、当初は3.3から3.4でしたが、最近は4.1から4,2を頂いております。 怖いくらいです。

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編集長_質の高いサービスを提供しようと努力されていますが、同時にコストもかかりますね。                                                     古旗氏                                                                                          今までお話した事は、全てコストがかかっています。いくら安くても、まずい物は、まずいですね。 ダメなものは、ダメです。良いサービスを提供すると言う事は、根本原則なのですが、その為にはコストがかかる事も理解する必要が有ります。

質の高いサービスとそれに比例した価格、この姿勢をお客様が選んでくれる、と私は信じて投資しています。

プレーフィーが下がっている今日、下げて下げて行くと、会員価格との差が無く成ってしまいます。当ゴルフ場は会員制ですから、会員の方には迷惑をかけられません。 ですからそう簡単に、ビジター料金を下げる訳にも行きません。であるならば、他のゴルフ場に無いサービスを如何に提供して行くのか、この解は現場に有るんですよ。 お客様の声に有るんですね。

これをどの様に工夫して行くかが、勝負になると考えています。究極的には人の問題に成ってくるとも言えますね。

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編集長_スタッフのモチベーションと創意工夫が大切との事。ではスタッフの満足度は如何ですか。                                                    古旗氏                                                                                          集客数も売り上げも伸びて来ているので、スタッフもやりがいを感じて来ていると思います。自分たちのやって来た事で、会社が非常に良く成っている、と実感しているものと思います。

客単価が下がりました。 売り上げが下がりました。 従業員の収入が減りました。 これでは負のスパイラルに陥ってしまいます。今の南富士は逆を行っていますね。

私は毎月、(今月はこの点に注意して下さい)と言うメッセージをポスターにして、発信しています。同時に月間の売上目標も、設定しています。この目標・基準点をクリアした時には、大入り袋 を出しています。 これはアルバイトの方も含めて、対象にしています。 ほめる時は、ほめています。

一般的に<社員の満足度が高いゴルフ場は、お客様の満足度も高い>と言われております。

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編集長_具体的にスタッフの方の創意工夫を少し教えて下さい。                                                      古旗氏                                                                                 各部署で問題点に対して、自発的に様々な案が出て来ています。この様に成ってくれば、再建者としては一安心と言うところです。

例えば、先程キーパーから霧対策の件をお話しましたが、昨年2014年にけん引式のモアを買って欲しいと言われたんです。現在ではほとんどのゴルフ場で使用されていない様なものですから、物を探せるのか心配でしたが、それよりもなぜ今この旧式の機材を欲しがるのか、不思議だったんです。

そうしましたら、キーパー曰くこの機械は壊れづらい。 何しろ刈刃が丈夫で欠けにくい。 現在普及しているものは、刃が欠け易く修理費も高いし、日数もかかる。からだとの理由でした。

この様なアイデアが出る事自体が、素晴らしいんです。今年の冬、2014年暮れから2015年冬季にかけて、ホールアウトして来たプレーヤーへキャディがコーンスープをふるまっています。これは料理長からのアイデアで、始まったものです。

ほんの一端をお話させて頂きましたが、一番良くないのは、他コースでやっているから、自分のコースでもやろう、と言う発想です。

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編集長_社長のコースは会員制ですが、会員の動向は如何ですか。                                                     古旗氏                                                                                 法的整理後に残って頂いた会員は、1,250名の方々です。年齢層は60歳から70歳までが多いですね。競技会は当初AとBの2クラスだったのですが、競技参加者が増えた結果、Bクラスの参加者が増えました。

現在ではSクラス、Aクラス、Bクラスの3クラスへ分けて、競技を行っています。

課題は会員の平均年齢が高い事から、いずれ来場回数が減少して行く事に成るのだと思われますが、その時には(終身会員制度)を活用して、ご親族の若い方へ会員資格を継承して行って頂きたい、と考えております。

終身会員制度を活用出来ない会員の方の事を考えると、如何に会員権市場を活性化して行くかが、大切だと考えております。

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編集長_貴重なお話を伺って来ました。最後に再建者としてのご感想を、お聞かせいただけますか。                                                    古旗氏                                                                                     改革して行かなければならない問題は、常に有ります。これは南富士が民事再生を経験したからと言う事では無く、我々は常にチャレンジして行く、この姿勢がかけたらダメに成ってしまうと考えています。

新しい南富士がスタートしてからと言うもの、苦しい事も多々有りましたが、社員の皆さんが自信をもって、自発的に様々な課題に取り組める様に育って来ています。この事がとても大切だと思っております。

ここまでくれば一安心というか、やっと基礎が出来たな、と言う感じでしょうか。経営者としては間違った投資をしない事が大切ですから、今後も引き締めて当たって行きたいと考えております。

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編集長_本日はお忙しい中、長時間に渡り、誠にありがとう御座いました。

Mr.Furuhata_tact-4.jpg 連絡先                                                          株式会社 スポーツ・クリエーション                                                  〒107‐0052                                                            東京都港区赤坂1‐1‐1

TEL 03-3568-1759 / FAX 03-3568-1760

                                                                                                                                      


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Mr.yano_tact-top.jpg矢野正彦氏は、アマチュアゴルファーとして活躍する後、日本大学ゴルフ部監督として、数々の名選手を育成して来ました。                                        その後、ゴルフ場の再生にも取り組んで来られております。ながらくゴルフと関わってこられた氏の苦労話などを、2014年夏に伺って参りました。

【 ご経歴 】

1946年 東京生まれ。                                                            1965年 日本大学入学。                                                            1966年 東京読売CC クラブチャンピオン。                                     1968年 関東オープンセカンドベストアマチュア。                                                     1969年 日本大学卒業(ゴルフ部副主将)。                                                                  1972年 日本大学ゴルフ部ヘッドコーチ就任。                                                1972年 戸塚CC クラブチャンピオン。                                                                        1974年 全米アマチュア選手権出場。                                                                           1998年 日本大学ゴルフ部監督代行就任。                                                                     2002年 日本大学ゴルフ部監督就任。                                                                            2006年 日本大学ゴルフ部監督辞任。                                                                             2007年 ニュー軽米カントリークラブ 取締役社長就任。                                                                           2011年 同社 退職。

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編集長_何歳でゴルフを始められましたか。                                                                           矢野氏                                                                                      15歳の時です。11ヶ月半でシングルに成りました。                                                                      京都に居た無名の東村史郎プロが、関東に出て来られたんです。その方と内田繁プロのお二方に教えて頂きましたが、そのお二方の影響が大きかったですね。

その他にも石井朝夫さんだったり、浅見緑蔵さんなどにも教わる機会が有りました。

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編集長_お若い時にクラブチャンピオンになられたんですね。                                                                 矢野氏                                                                                      日本大学へ入学してすぐだったと記憶していますが、 確か19歳の時に今の東京よみうりカントリークラブで、クラブチャンピオンになりました。

確か11ホールぐらい残して勝ったと思います。母親が(お昼から応援に行くから)と話していたんですが、来た時には終わっていたと思いますね。

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編集長_大学生の時に東京よみうりCCの会員になられたんですか。                                                          矢野氏                                                                                       そうです。確か当時も入会条件は、厳しかったと思います。                                                                   当時、クラブの会員に成れたのは、正力オーナーが、将来日本の代表選手になってくれるのなら、と例外を認めて私の父親に話してくれたんです。

若い会員は、私だけだったと思います。大正力さん、正力亨オーナーのお父さんですが、何回かお目にかかり、(頑張れよ)と激励された事が印象に残っています。

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編集長_学生時代に交通事故に遭われたそうですね。                                                                   矢野氏                                                                               当時、同級生が運転する車の助手席で、私は寝てしまっていたんです。気が付いたらトラックと橋げたに挟まれていました。

事故見物の野次馬からは、(死んでる、これはダメだ、死んでる)と言う声が聞こえて来ました。両親はその時、静岡県の川奈に居て、急遽病院へ駆けつけたのですが、病院からは(今晩もたない)と言われたそうです。

事故直後から私が若干意識を戻した時、目の前には沢山の電気がついていました。病院の手術台だったんですね。全く身動きが取れない状態でした。

複雑骨折が至る所にあり、腕も3ヶ所折れていました。今でも思い出しますが、兎に角水を飲みたかったんですね。うわごとで、水、水と言っていたと思います。

しかし水は命に差し障るので、綿で口を濡らす程度だった、と後に聞きました。そんな状態だったのですが、助かってしまったんです。

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編集長_九死に一生を得るとは、まさしくこの事ですね。その後ゴルフを再開出来たのですか。                                                 矢野氏                                                                                      入院中に院長と母親の会話が、聞こえて来ました。院長曰く、生涯足は不自由な状態で、障害が残るだろう、との会話でした。

しかし、それを聞いて絶対に治って見せる、と思いましたね。当時、ゴルフに関しては、プロの試合よりアマチュアの試合の方が、多く新聞報道されていました。そこに仲間の活躍が、よく出ていたんです。

気持ちが高ぶりました。仲間には負けたくない、治らなければ、と思いました。退院後、すぐにゴルフの練習を再開しました。練習場へ行き、バンカーショット、アプローチなどから始めました。

しかし、痛くて、痛くて、言葉には言い表せなかったですね。それが今と成っては、リハビリに成ったのか、とも思いますね。

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編集長_学生時代の事をもう少し、お聞かせ下さい。                                                                     矢野氏                                                                                       一年先輩には、西田、沼沢さんがいました。西田さんがブラジルから帰って来て日大へ入り、沼沢さんは法政に居たんですが、日大へ転校して来たんです。

私がゴルフ部へ入部した時、山田健一君も一緒でした。 一年生でレギュラーを取れたのは、私と山田君だけでしたが、当時、日大はBブロックだったんです。

Bブロックで優勝して、春の入れ替え戦で優勝して、その年、秋の全日本でも優勝したんですが、そこからは28連勝ぐらいしたと思います。

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編集長_ご卒業後、戸塚CCでクラブチャンピオンを取られました。                                                                   矢野氏                                                                                   卒業して何年かたった1972年です。戸塚CCでは、クラブチャンピオンの決勝で、ワンハーフまわらない内に終わったと思います。

あの当時、糸巻ボールとスチールシャフトのドライバーで、私のスコアは60台でしたが、クラブのアマチュアでその様な選手は、居なかったと記憶しています。戸塚CCの西コース、昔は名瀬コースと言ったんですが、長かったですね。

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編集長_全米アマにも出場されました。                                                                           矢野氏                                                                                        開場はハワイのワイアラエCCでした。坂田君と倉本君と一緒でした。倉本君が未だ10代でした。

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編集長_倉本さんとの出会いは、いつですか。                                                                          矢野氏                                                                                      彼との最初の出会いは、全日本ジュニアでした。                                                                     1972年から日大ゴルフ部のヘッドコーチをしていたんですが、竹田監督に言われたんです。(すごいのがいるから、見て来てくれ)と。それが倉本君の事だったんです。

全日本ジュニアの開場は、霞ヶ関CCでした。競技委員長の出渡さん曰く、(彼は見た事も無い将来性のある子だよ)との事でした。

ミドルホールで倉本君と挨拶をして、(頑張れよ)と言ったら、(頑張ります)と言ってくれました。                                                      その次のショートホールです。ピンが左に立っていて、風が右から吹いていたんです。(矢野さん、これ風と喧嘩させますから)と言ったんです。高校生ですよ。                           そしたらピンから7メートルぐらいに、ナイスオンです。

こいつは、すごいやつだな、とんでもない奴だな、と思いましたね。これが倉本君との最初の出会いでした。

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編集長_倉本(取材時PGA会長)さんとの思い出も沢山有るかと思いますが。                                                      矢野氏                                                                                        そうですね。その後、倉本君は日大進学を決めてくれて、私の家に下宿していたんです。                                                       ある時、九時に倉本君を練習場へ置いて、私は仕事が有るものですから、昼に一緒に食事をしようと約束をして別れたんです。

ところが私の仕事が長引いて、練習場に戻って来たのは2時30分だったんです。当然、倉本君は食事をしたものと思い、(今日は何を食べたの?)と聞いたんです。そうしましたら、(えっ、もう昼ですか?)と言うんですね。

驚きました。それだけ集中力が有るんですね。ですから数々の実績を残せたと思います。

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編集長_その他には?                                                                                  矢野氏                                                                                    倉本君はある事件で、一年間謹慎をしていました。その間も私の家に居ましたから、通算彼は5年居た事に成ります。

私も裁判には2回出ましたが、ある意味、彼は被害者ですよ。この一件で彼は、マスターズに出れなくなってしまったのですが、残念でたまりません。

翌年、彼はプロテストに通り、ツアーへ途中から出場したのですが、その年5?6勝したと思います。忘れられない思い出です。

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編集長_本格的に指導者の道を歩み出した経緯を教えて下さい。                                                                    矢野氏                                                                                        倉本君が卒業する迄、日大ゴルフ部のコーチをしていたのですが、父親の事業が忙しくなり、私も手伝う事に成ったんです。倉本君の卒業と前後して、私もしばらくゴルフ部とは、離れる事に成ったのです。

そんなある日、突然、竹田監督から連絡が来たんです。(ゴルフ部を手伝って欲しい)と言われたんです。                                            

長らく学生のゴルフから遠ざかっていましたので、福島の棚倉田舎倶楽部で行われる関東リーグを視察する事にしました。それは未だ引き受ける前だったんですが。                                                       試合会場で偶然、東北福祉大の阿部君に遭ったんです。阿部君に、日大のコーチは何処に居ますか?と聞いたところ、(誰も来ていない)と言われたんです。過去にそんな事は、有りませんでしたね。

ハーフターンの時に、イアリングをしている選手と遭遇しました。私はびっくりして、阿部君に何処の選手か尋ねたんです。阿部君曰く、日大の選手だとの事でした。愕然とした私は、その場から竹田監督に連絡を取り、指導者の件を正式にお断りしました。

その後、私の知らない内に、竹田監督と奥様が、私の父親を訪ねて来た様なんです。或る日、私は父親に呼び出されて、(日大ゴルフ部の件、引き受ける様に)と強く言われて、返事は(ハイ)と答えるのが精一杯でした。

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編集長_竹田監督はどの様な方だったんですか。                                                                         矢野氏                                                                                    竹田監督は応援団のご出身なんです。確か、日大の応援団が体育会に成った、最初の応援団長だったと思いますね。                                           監督はゴルフをスポーツとして捉えて、日大で初めて体育会にしたと思います。

怖かったですよ。話は私の学生時代に戻りますが、挨拶一つにしても厳しかったです。例えば、多摩川での練習ですが、我々の対面では慶応のゴルフ部が練習をしていて、女子学生の応援が飛び交うのですが、私たちは挨拶の仕方から始まるんです。

挨拶の仕方がまずいと、うさぎ跳び一周ですよ。私は入学時、ゴルフ部とはこんな事もするのか、と驚いたものです。負けるのが嫌いな方でした。                                                             ご本人はレッスンをしませんでしたから、兎に角、根性根性の連続でした。

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編集長_監督業はいつ頃からですか?                                                                         矢野氏                                                                                   2002年に私は監督に就任します。竹田監督が私の父親に会いに来られた当時より、監督の体調はすぐれなかったと思います。ですから私が竹田監督のお手伝いを始めた頃より、実質的には監督業をやっていた様に思います。

矢野東君が選手だった頃に、監督代行と形式的には成りました。

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編集長_監督業で努めてきた点は?                                                                        矢野氏                                                                          選手の保護者と会う事は、極力避けて来ました。その理由は、子供に大きな期待をかけている方が、ほとんどだったからです。                                                                      ご自分の子供に期待を寄せるのは、当然です。しかし、過度の期待は、子供に意欲を持たせるのでは無く、義務感や強制につながり、逆に子供の成長を阻害しますよ。

ある時、関東アマでチャンピオンに成った子が、私のところに泣きながら相談に来たんです。どうしたの?と聞いたら、(悪いスコアカードを見て、お父さんが2階から僕のクラブを放り投げ、二度とゴルフをするな)と言われた、と言うのです。

まあ、その時は私もその親と喧嘩するほどのいきおいで、話しましたね。ゴルフ部合宿では、選手全員を一人、一人部屋に呼んで、話をしました。話し出すとすと、泣き出す子も何名か居ました。親からのプレッシャーが、厳しくて大きいんですよ。

あなたには、こんなに沢山のお金を使っている、だから頑張って)と言われると、子供は委縮してしまうんですね。                                       子供には如何に意欲を持たせるか、そしてその意欲を上手にサポートして行ければ、子供はどんどん伸びて行く様に思いますね。

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編集長_監督業で感じた点は?                                                                               矢野氏                                                                                    勘違いしている親が、多かった様に思います。例えば、日大のゴルフ部に入れば、直ぐにでもプロゴルファーに成って、お金を稼げるとか。それは今も変わらない様に、思いますね。

自分は石川遼君の親の様になれる、横峯さくら さんの親の様になれる、と勘違いしてガン、ガンやっている人が多い様に思えて仕方ないです。可哀そうですよ、子供が。

まず、親の考え方を改める必要が有りますよ。ここを強調したいですね。親からのプレッシャーで、ゴルフを嫌いになる子供が出て来るのは、非常に残念です。

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編集長_監督業での思い出は?                                                                                矢野氏                                                                                  思い出は沢山、沢山あります。先ほど倉本君の事はお話しましたが、思い出の一つとして、大山志保ちゃんの事は忘れられません。

彼女がアプローチイップスに成った事が有るんです。それを克服した事が、思い出ですね。                                          烏山城CCでの団体戦の時でした。彼女が80いくつか叩いて上がって来たのですが、(急に手が動かなくなった) と言うんです。

次から個人戦が始まりますから、困りました。コースの近くに私の後輩の家が有って、そこにはバンカーやアプローチ練習場が有るんです。急遽レギュラー陣を全員そこへ連れて行って、まず彼女にヘッドが動く練習をさせたんです。

通常の練習では問題なく出来る様になったのですが、肝心な事は、緊張感の中で出来るのか、どうか?連れて行ったレギュラー陣に、私は聞きました。(最近車を買った者は居るか?)と。そうしましたらK君が、手を上げたんですよ。

K君に車を持って来てもらって、志保ちゃんに、車越しにアプローチをしなさい、と言いました。(ぶつけたら親父に怒られます!)とK君が言うのですが、その時は私が弁償するよ、と言う事で納得してもらって始めました。

一球目、車にあたりました。幸い車に傷はつかなかったんですが、ヒヤヒヤもんでした。二球目から彼女は、車越しにポン、ポンとアプローチが出来る様に成ったんです。その後、個人戦で彼女は60台が出て、優勝しました。

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編集長_監督をお辞めになり、ゴルフ場経営者と成られました。その経緯を教えて下さい。                                                                                      矢野氏                                                                         或る日、大学の先輩から連絡が有って、(東北のゴルフ場を取得したので、その再建を願いたい)との事でした。当初、お断りしようと考えておりましたが、(借金は無いし、好きにやってもらって結構)と言われ、又、先輩の熱意を感じて受ける事にしたんです。

ゴルフ場は岩手県のニュー軽米カントリークラブです。

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編集長_着任して、ゴルフ場の状態はどの様だったんですか。                                                               矢野氏                                                                                      着任して2日目で、ゴルフ場の従業員の方が、近くのお寿司屋さんへ連れて行ってくれたんです。そこで従業員の方が、お寿司屋の大将へ、私を紹介してくれたんです。(今度、軽米へ来た責任者の矢野さんです)と。

そうしましたら、店内に居たお客さんから(なんだ、あの詐欺師のゴルフ場へ、又誰か来たのか)、と言われたんです。事情を知らない私は、びっくりしました。

そこで従業員の方から聞かされたのは、ゴルフ場には会員が約700名、守る会の方が2,000名ほど居るとの事でした。経営が代わりましたから、紛糾していたんです。                                                                  従業員の方から今度、総会が有るが参加しますか?と聞かれたので、当然、参加する事にしました。

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編集長_初めての総会はどの様でしたか。                                                                             矢野氏                                                                                        散々な事を言われました。非難のオンパレードでしたね。皆さんの意見が出尽くした頃に、自己紹介をさせて頂きました。これが初めての総会でした。

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編集長_その後、どの様にしようと、お考えに成ったのですか。                                                                          矢野氏                                                                                       先ず、あらゆる会に参加しようと決めました。総会、役員会とか。そしてこのゴルフ場を軌道に乗せるには、どの様にしたら良いのか、真剣に考えました。兎に角、地元の方々に愛されるゴルフ場にしなければ、と考えました。

それには社員が、同じ方向を向いてくれる事が、大切です。会員は2,500名は必要で、とりあえず2,000名に近づける必要が有りました。

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編集長_再建の先ず一手を教えて下さい。                                                                                矢野氏                                                                                 先ず、理事会の再建と、地元からの新理事長選出です。理事会は地元に縁の無い東京在住の方が多かったのですが、この構成を変えました。

地元の皆さんの意見を聞けば、金入さんと言う方の評判が非常に良い。もう私の中では、理事長を金入さんにお願いする方針で決めていたのですが、会員の方、ゴルフ場従業員に意見を求めたところ、(それは無理だ、受けて頂けないでしょう)との声が大半だったんです。

最初、私が金入さんへ電話連絡をするも、全く話す事さえ出来ませんでしたし、人を介して依頼するも会えませんでした。

或る日、私は早朝から金入氏の会社前で待機し、氏の出社時に是非お話を聞いて頂こうと、考えて居ました。全くのアポ無し、飛び込み営業みたいなものですよ。                                                                   そうしましたら、偶然にも出社して来た金入氏に、会う事が出来たのです。 玄関での立ち話だけでしたが。

その後、会社へ呼んで頂き、お話を聞いて頂く事も出来ました。その様なやり取りをする内に、食事をしたり、ゴルフをする関係が出来たのです。そして金入氏から(矢野君が社長をやっている間だけですが、理事長を受けますよ)と言って頂いた。

本当にうれしかったですね!

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編集長_金入氏理事長就任の反響は、どの様なものでしたか。                                                                    矢野氏                                                                                     金入氏に理事長を受けて頂いた事が、ゴルフ場再建のターニングポイントに成りました。金入氏が理事長に就任した事から、その影響で地元の有力な建設会社の方が、副理事長を受けて頂いたりと、流れが大きく変わって行くのが、手に取る様に解かりました。

会員も700人ほどから約1,800名へ、一挙に回復しました。一年半たった頃には、会員の方々より(矢野正彦を守る会)にするか、 などの冗談も言って頂ける様に成りました。

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編集長_再建へ向けて、更なる一手は。                                                                          矢野氏                                                                                   ニュー軽米CCは、岩手県のゴルフ場ですが、青森県との県境でも有るんです。来場者の80%は、八戸のお客様でした。

私は八戸市とタイアップする事が、とても重要だと考えました。そこで八戸市の子供たち、スポーツをする子供たちを支援する、と言う名目でゴルフ場から寄付をする事にしたんです。

これは、新聞やTVでも取り上げられ、反響が大きかったです。兎に角、地元の方々に愛されなければダメだと、考えておりましたから。

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編集長_矢継ぎ早の変革で、従業員の皆さんの反響はどうでしたか。                                                            矢野氏                                                                                      私は常に物事を、チームとして考えています。一人で見る夢には限界が有りますから。ニュー軽米の再建でも、社員が同じ方向を向いてくれた事が、大きかったですね。

経営が交代した訳ですから、従業員の中には旧社長派の方もおりました。しかし多くの従業員が同じ方向を向いて歩きだした時に、やはり面白くなく思っていた人たちは、自然と辞めて行きましたね。                                                            別に私が追い出そうとしなくても、居づらくなったんだと思います。

会社から大切にされていないと感じた従業員は、お客様に対する態度も、自然と良くないものに成ります。少ない従業員数ですから、皆で良くなって行こう、と言う方向性を打ち出せないと、モチベーションは下がりますよ。

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編集長_従業員の教育、人材の発掘と言う中で、支配人をどの様に決めたのですか。                                                        矢野氏                                                                                   支配人職を、従業員の村本さんにお願いしました。私は当初、社長職と支配人職を兼務しておりましたが、適当な人材が見つかった時には、速やかにその人物を新しい支配人にしなければ、と考えておりました。

私はゴルフ場に着任した時、従業員全員と話をしたんです。村本さんは当時、トイレ修理など水回りの仕事をしていました。どの様な動機で、ゴルフ場へ勤めるようになったのかを聞いたところ、(ゴルフが好きで、好きで、ゴルフ場へ勤務したら、もっと出来ると考えたから)、との返事でした。

前職を伺えば、市役所の水道課に居て、その後、博物館の館長も務めたとの事。村本さんは、人当たりが良く、如才ないというか、印象が良く話すとホットする感じの良い人でした。話していて疲れない方ですよ。

或る日、私は彼を呼んで支配人を命じました。4段階か、5段階のランクをいっぺんに上げてです。私は村本さんの詳しい経歴を知りませんでした。                                                              聞くところによれば、村本家は地元で大変な名士一家で、お兄さんは建設会社の社長、村本さん自身も市長と面識が有り、簡単な挨拶程度で面会出来る関係との事でした。

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編集長_理事長、支配人が決まりました。次はどなたですか?                                                                       矢野氏                                                                                         忘れてはならない人物は、並岡料理長です。すごい男です。根性と勉強家で、上しか見ない人です。                                                 見習い二人と本人の3人で、27ホールの来場者の食事を賄う訳ですから、大変です。しかし泣き言一つ言わない。朝の暗い内から出勤してきて、頭が下がりました。

ニュー軽米にはロッジが有るんですが、宿泊客に出す並岡料理長の料理には、皆さん驚きますよ。料理の素晴らしさからです。彼は芸術家ですね。

或る日、他ゴルフ場のオーナーが視察に来られて、ヘッドハンティングの話が有りました。報酬は大変高額だったと思います。その様な逸話の有る素晴らしい人物です。

ニュー軽米の食事は、東北6県で最高だと思っています。

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編集長_徐々に体制が整って来ました。やはりキーパー抜きにゴルフ場は語れないと思いますが。                                              矢野氏                                                                                  そうですね。前、勤めていたキーパーが居たんですが、辞めてしまったので突如、中山君にやってもらう事にしたんです。彼は若かったですが、研究熱心で、勉強家です。

日が昇るのを待って、作業を始めています。グリーンに病気が発生しようものなら、自分の子供が病気になった様に、一生懸命やっていました。私が居た頃は、成りたてだったんですが、今はもう大ベテランだと思いますね。

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編集長_コース改造もされたとの事ですが。                                                                       矢野氏                                                                                      山を三つ、取りました。ニュー軽米CCの売りは、何と言っても水、すなわち池なんですね。しかしこれをさえぎるものが、多かったんです。

白樺コース8番ホールグリーン横の山を取りました。この結果、8番から9番へ向かうロケーションが良くなり、池とクラブハウスを見渡せる事に成ったんです。

白樺コース2番ホール右横の山を取りました。結果として池とクラブハウスが見える様に成り、景観がすこぶる良く成りました。

白樺コース9番ショートホール左横の山を取りました。結果として150ヤード程だった距離を185ヤードまで延ばす事が出来、印象に残るホールに出来ました。

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編集長_バンカーにもかなり手を入れた様ですね。                                                            矢野氏                                                                                       埋めたバンカーも多かったでんすが、新しく造ったバンカーも有りますね。クロスバンカーとかは、随分直しました。                                         特に白樺コース9番ショートホールのグリーン奥30ヤードに有ったバンカーは、年間に1回も入ったのを見た事も無い、と言うものでしたので無くしました。

ニュー軽米CCは、北東北3県の中でNo1だと言う自負が有ります。無駄なものも多く有りましたが、コースに関して言えば、素材が素晴らしかったんです。この点が大きかったですね。

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編集長_ニュー軽米CC時代もジュニアの育成には、力を入れられた様ですが、教えて下さい。                                                矢野氏                                                                                       2008年の夏休みを利用してジュニア教室を開催しました。多くの子供にゴルフと言うスポーツを知って、好きになって欲しかったからです。                                                                   参加者の中で特に素質のある子供には、本人の気持ちと保護者の方のご理解のもと、(特別強化選手)に指定しました。

子供たちは、町内のゴルフ場社宅に、親元を離れて住み込んでゴルフに取り組みました。ほとんど費用負担の無い内容です。

素晴らしい女の子も居ました。ゴルフを始めて一年半で、岩手県のチャンピオンになってしまったんです。その後、東北エリアの大会でも上位に行き、日本ジュニアにも、日本女子アマにも出場出来たんです。                                                                                                        ルールなどそれほど教える機会が無かったので、本人も知らなかったと思いますが。その様な状態でも、短期間に才能が開花した一人でした。

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編集長_3・11大震災時の事を教えて下さい。                                                                    矢野氏                                                                                       その時、私は八戸市に居ました。冬場の集客対策として、スポーツバーとシュミレーションゴルフの出来る施設を、私は作ろうとしていました。

青森県で初めての施設でしたし、内容も素晴らしく、世界の50コースをラウンド出来るものでした。その施設が入るビルに居た時、やって来たのです。一生忘れられないですね。

壁に十何本もの亀裂が入りましたし、車が横揺れするのでは無く、 縦に上下動しているのを見るのは、初めてでした。                                          お客様と社員を直ぐに帰して、私も車で帰ろうとしたのですが、交差点の信号が消えて、様々な車が衝突しそうになって動かない状態でした。

何とか家にたどり着いたのですが、電気も水道も無い状態でしたので、車の中で3日間生活をしました。

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編集長_ゴルフ場はどの様な状態でしたか。                                                                       矢野氏                                                                                              ニュー軽米CCは被害が少なく、直ぐに営業出来る状態でした。しかし近隣のゴルフ場はダメでした。Hカントリークラブなどは、コース内にコンテナが入り込んでしまっていましたね。Mカントリークラブには醤油とかトイレットペーパーを届けました。

届ける道すがら、茫然と立ち尽くす子供を見た時には、言葉では表現出来ないものを感じましたし、街の臭いは何とも言えないものでした。

MカントリークラブとHカントリークラブの会員に付いては、会員待遇で受け入れる事にしたんです。そうしましたら、その年ニュー軽米CCの経営は、黒字になってしまったんです。別に全く意図したものでは、無かったんですが。

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編集長_振り返れば、ゴルフ場の再建と言う目的を達したと、言えるのではないでしょうか。                                                    矢野氏                                                                                 そうですね。私は常に、物事を成し遂げ様とする時、チームとして考えます。ニュー軽米CCの再建も、人に恵まれました。素晴らしい人々との出会いが無ければ、ゴルフ場の再建も無かったと思います。

私は何時も考えます。今日在るのは、人に恵まれたからだと。

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編集長_今後、又ゴルフ場再建に携わるお考えは?                                                                              矢野氏_そうですね。機会が有ったら考えたいですね。                                                          編集長_本日はお忙しい中、長時間に渡り、誠にありがとう御座いました。

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Mr.yano_tact-2.jpg 連絡先                                                        タクト株式会社                                                         〒101‐0051                                                               東京都千代田区神田神保町2‐20 M2ビル

TEL 050-3821-2481 / FAX 03-3512-7580

                                                                                                                                                                        


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米国史研究家 唐沢憲正氏を訪ねて

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唐沢憲正氏は、商社マンとして約12年間滞在したアメリカでのゴルフ体験をもとに、2011年02月に「 アメリカゴルフの舞台裏 」として、単行本を出版されております。                                                       2014年08月中旬お目にかかり、本では書き尽くせなかったアメリカゴルフ事情を、伺って参りました。

                                           【 ご経歴 】                                         1936年東京生まれ。                                                     1960年早稲田大学第一政治経済学部卒業、兼松株式会社に入社。                                     1964年春から4年間、その後70年代と90年代と3度に渡り都合約12年間、同社米国法人に勤務し、1年半のサンフランシスコ駐在を除き、大半をニューヨークで暮らす。

自由人となった2000年夏以降も著作の取材などで何度か訪米。                                                            趣味のゴルフ歴50年。                                                                               麻生カントリークラブと美野原カントリークラブの会員。                                                               米国史研究家。                                                                                      一般社団法人 ディレクトフォース会員。

【 著書 】                                                    ● アメリカゴルフの舞台裏  (ゴルフダイジェスト社)                                                                             ● アメリカ駐在員引継書   (文芸社)                                                                       ● アメリカ企業を買収せよ! (PHP Publishing_山岸誠一郎氏との共著)

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編集長_(アメリカゴルフの舞台裏) を執筆された経緯をお聞かせ下さい。                                                   唐沢氏                                                                                               ゴルフダイジェスト社のチョイスと言う月刊誌( 現在は季刊 )に、 時々依頼されてコラムを書いていました。コラムがたまってきたと言うのも有るんですが、いっそ単行本にしたらどうだろう、と言う事に成ったんです。                                                                                    商社勤務時代、通算約12年間アメリカに居りましたので、ゴルフに関して当時体験できた事柄やエピソードなどを、ゴルフ業界人では無い立場から書いてみたいと思ったんです。

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編集長_著書の中でトム・ワトソンに関する記述が印象に残ったのですが。                                                    唐沢氏                                                                                             トム・ワトソンを間近で見たのは、ナパで開催された1978年のアンハイザー・ブッシュ・クラシックで、9ホールついて廻りました。                                                                             私は丁度そのトーナメントの一年前に、サンフランシスコへ駐在となっておりましたので、運が良かったと言えます。                                     彼の全盛期だったのでプレーぶりは、素晴らしかったですよ。 常にピンに絡んでくるアイアンショットは、今なお印象に残っています。勿論ぶっちぎりの優勝でした。

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編集長_トム・ワトソンは、どの様な人物なんですか。                                                                    唐沢氏                                                                                                ミズリー州はセントルイスが一番大きな都市なんですが、州の西側の端にカンザスシティーと言う2番目に大きな街が有って、トム・ワトソンはそこの出身なんです。非常に保守的な街ですよ。                                                 

彼は典型的なクリスチャンで、 スコットランドから発生した、ゴルフの伝統を受け継いだプレーヤーなんです。規律などには、厳しいですね。                                                                              彼はジャック・ニクラスとも仲が良いんです。                                                                                アメリカは個人主義の国ですから、日本の様な派閥と言うか、何々軍団みたいなものは無いんです 。しかしとてもフレンドリーで、特にワトソンを嫌う人はいないと思いますよ。

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編集長_トム・ワトソンがライダーカップのキャプテンですか?                                                                   唐沢氏                                                                                        そうです。彼は現在64歳です。                                                                                      ライダーカップは今年、2014年9月24日から28日にかけて行われるのですが、その時、彼は65歳になっています。これまでの最年長です。                                                                          これまでキャプテンは、40歳代、50歳代の選手がなるケースが多かったと思うんです。

ライダーカップは賞金が無く、有るのは名誉のみです。国と国、否正確には米国と欧州と言えばよいんでしょうか、その威信をかけて戦うわけですが、実績と人望のある人がキャプテンに選ばれるんです。                                                                                             ワトソンは1993年に一度キャプテンに選ばれていて( 米国の勝利 ) 、今回二度目です。

2012年アメリカ・メディーナでのライダーカップ、アメリカは最終日のシングルス・マッチで3勝8敗1分と振るわず、13.5ポイント対14.5ポイントで逆転負けを喫しました。                                                                         屈辱の大会でしたから、今年の大会へかけるものは、前大会とは比べ物にならないと思います。                                                ワトソンが選ばれたのは、その雪辱への意気込みでもありますね。

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編集長_トム・ワトソンが選ぶライダーカップの選手とは?                                                                     唐沢氏                                                                                                 ライダーカップの選手は、12名が選ばれるんです。1番から9番まではポイント順に自動的に選出されるんですが、残りの3名に付いては、キャプテンの選出に成るんです。

フィル・ミケルソンはポイントで9位以内に入らなくても、ワトソンは彼を選ぶと私は思います。フィル・ミケルソンはアメリカ人に圧倒的な人気が有るんですけど、その理由は、まずキャラクターが良い事ですよ。次に彼はアメリカ人好みのハンサムなんです。

お金持ちの子供では無く、環境に恵まれた訳では無いのですが、常に前向きな姿勢が良いんです。試合では二位が多いのですが、アメリカ人の判官びいきと言うものも有って、人気が有るんです。

彼の奥さんは以前、乳がんだったんです。今は幸い手術も成功して回復しているんですが、その様なフィル個人の環境も、応援される理由かもしれませんね。

ブッチ・ハーモンの弟子は、皆成績が良いんです。フィルだけでは無く、例えばザック・ジョンソン、リッキー・ファウラーもそうです。恐らくタイガーは、今年は選ばれないでしょう。

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編集長_タイガースキャンダルとプロゴルフ界の状況は?                                                                唐沢氏                                                                                               タイガーの出現は、ゴルフ界にとって大きかったですね。市場価値が上がったんです。                                                            しかし2009年11月のタイガーの不倫スキャンダル以降、スポンサー離れが進んで、当然タイガーをサポートしていた企業もそうですが、ゴルフ界からの企業離れが進んだんです。

今、PGAはバリューを高めようと、政策転換を図っています。否、PGAだけではないですね。全米プロゴルフ協会も、USGAもその他の組織も含め業界全体で、ゴルフを文化として、ビジネスとして価値を高めようとしています。

特に若いプレーヤーを、育成しようとしているんです。例えばリッキー・ファウラーとか。彼にはスポンサーが付いて来ていますよ。                           book-アメリカゴルフ舞台裏.jpg_

編集長_アメリカスポーツ界でのゴルフの位置は?                                                                          唐沢氏                                                                                                 今、アメリカではサッカーの人気が急激に出てきました。アメリカ人も気づいてきたんです。サッカーがNo1スポーツでは無いかと。

アメリカではご存じの様に、アメフト、バスケ、野球、ゴルフに人気が有ります。しかし、小学生から出来るスポーツ、世界的に人気が有るスポーツ、プレーする層も厚く、見る層も厚い、そう言う意味でサッカーが注目されて来ています。

アメフトのスーパーボールのテレビ中継は、全米で一億人程が見る人気スポーツです。 アメリカ人はコンタクトスポーツが、大好きですから。                                                                         個人的には、アメフトは若干落ち目の様に感じます。

アメフトは大人のスポーツと言う感じですが、ゴルフはせいぜい中学生ぐらいでしょうか。とにかく、アメリカはプロスポーツ界同士での競争も又、厳しいです。

日本のゴルフの場合、若い人がやれる、地方の人達がやり易い環境を作っていかないと、全体的に先が明るく無い様に思えますネ。

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編集長_ニューヨーク勤務が長かったと思いますが、ニューヨークでのゴルフは?                                                          唐沢氏                                                                                                    ニューヨークでは、4月から11月中旬まで、ゴルフが出来ます。ニューヨーク市の公園は19世紀終わり頃に出来ているんですが、12もののパブリックコースが有るんです。              

ニューヨークが誇る3コースとしては、                                                                                     1、シネコック・ヒル・ゴルフ・クラブ                                                                                    2、ウイングド・フット                                                                                    3、ベスページ・ステイツ・パーク・ブラック                                                                             が挙げられるのでは無いかと思いますが、ベスページ以外はプライベートクラブです。これらのコースでは皆、メジャートーナメントが開催されています。

ベスページでは90年代中頃45ドルぐらいでラウンド出来たと思いますが、15ドルぐらいでまわれるパブリックコースも有ったと記憶していますね。

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編集長_クラブとはどの様なものでしょうか?                                                                                  唐沢氏                                                                                        クラブと一口に言っても、名称は二つに分かれます。ゴルフクラブと、ゴルフ(アンド)カントリークラブです。                                          ゴルフクラブは文字通り、ゴルフをやる所といったイメージです。 カントリークラブはゴルフを中心に、プールやテニスコートも付いていたり、各種パーティも出来るゴルフ場とでも分類したら良いのでは無いかと思います。

日本では内容ではなく、ゴロ合わせと言うか、名称の響きで有るとか心地よさで、つけられているコースが多い様に聞いた事が有るんですが。

アメリカのプライベートクラブは、家族の延長と言う考え方が定着していますね。まあ、少しオーバーかもしれませんが、親戚、遠縁の集まり、と言う感じですか。ですから、ちょっとした家族の集まりや催事などは、クラブで行う事が多いですね。

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編集長_社会的差別がクラブにも反映されていますか?                                                                          唐沢氏                                                                                      差別とは、主に黒人を対象にした事だと思うんですが。キング牧師の1960年代までは、差別はひどかったですね。しかし、現在はほぼ解消されていると思います。これは法律上、一般社会での話です。

そうですね。あなたが言う様に、目に見えないものは、当然有るでしょうね。ただ、事ゴルフに関して言えば、自分の居心地の悪いクラブへ、入りたい人はいないでしょうから。

ゴルフ場のクラブに於いても、差別は解消する方向ではないですか。例えば一昨年、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブへ女性が2名入会した事などでも、それは理解出来ます。

今年の全米プロの観客は、多かったです。しかし白人が多く、黒人は少なかった様に思えました。一つは、入場料が高いと言う事も有るかもしれません。 ケンタッキーのルイビルと言う所は、特に保守的な地域ですが、黒人人口も多いのです。

アメリカの歴史の中で、黒人が社会から阻害されていた事実が、ゴルフに関しても参加が遅れたと言えます。でも、1975年にはリー・エルダーがマスターズに、黒人として初めて招待されていますし、チャーリー・シフォードは世界ゴルフ殿堂入りしています。

           ( 著者がセントアンドリュースを訪ねた時の写真 ) Mr.karasawa_3.jpg

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編集長_ご入会されていたリーウッドGCの事を教えて下さい。                                                                   唐沢氏                                                                                      リーウッドGCへ入会する為には、2名の推薦人が必要でした。1名は会員ですが、もう1名は会員以外の方ですね。会員以外の方は、保証人では有りませんが、それなりの社会的地位の方を求められました。

支配人との面接が有りましてね、次の様な事を言われたのを、覚えています。                                                                   1、 週末のゴルフだけにクラブを利用しないで、様々なイベントにも参加して欲しい。                                                             2、年間1,000ドルから1,300ドルくらいをクラブで利用して欲しい。                                                                3、日本人会員は5名に押さえているので、日本人の友人を勧誘しないで欲しい。

日本の会員制クラブとは、かなりかけ離れている様に思いますよね。入会金は1万ドルもかからなかった様に覚えてますけど。正確な金額は覚えていませんね。

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編集長_クラブの会員にベーブ・ルースがいたとか。                                                                     唐沢氏                                                                                           そうそう、それがクラブの自慢でした。そしてとてつもなく豪快な人でした。彼は朝、ゴルフに来るんです。そして午後は、本業の野球にヤンキースタジアムへです。当時、ナイターは有りませんでしたから。

夜は、女性との夜遊びです。フルタイム彼は、忙しんですよ。

この忙しさを見かねたクラブは、彼の為に高速道路のインターチェンジを、クラブへの進入路近くに造ってしまったんです。彼はこの高速道路を利用して、球場へ通ったんです。

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編集長_8番ホールの電話とは何ですか?                                                                           唐沢氏                                                                                      8番ホールへ来ますとね、ティーインググランド横に電話が有るんですよ。そこで9番ホールで食べる軽食を、注文しておくんです。ハンバーガー、ホットドックなどです。

9番ホールは打ち下ろしのPar3なんですが、 ティーインググランド横に小さな小屋が有って、そこにはテーブルが2つぐらいあって、注文して於いたものを、即食べられるんです。

合理的と言えば合理的です。プレーヤーはそこでキャディに飲物をふるまいます。

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編集長_ドレスコードは、どの様にお考えですか。                                                                    唐沢氏                                                                                      商社時代にシドニー出張の際、 ひどいパブリックコースでラウンドしたんですが、 その時若い同僚がTシャツでカフェテリアへ入ろうとしたら、シャツは襟付きが規則 だと言われて、追い返された事が有りました。

この事は既に本の中でも、書きましたけど。

ドレスコードは、各クラブで決める事ですから、規律と品性を重んじる事は、大切だと思います。しかしパブリックコースなどで、ひどく醜く無ければ、気晴らしに来ている様な方たちに付いては、余り厳しくするのも如何かと思いますね。

ゴルフは規律と品性を重んじるスポーツであると、つくづく思いますね。英国人の特質を背負って発展してきたスポーツなのでしょう。

例えば、テニスなどもウインブルドンでは、確か選手の服装の85%以上が、白色でなければならない筈です。

規律と品性と言う事に関するエピソードと言えばですね、ロンドンで非鉄金属業界の国際会議が有ったんですが、その後、日本から参加した商社マン4人と、英国の会社の4人とでゴルフをする機会が有ったんです。

ラウンド後に彼らと軽食を共にしたんですが、英国の4人は全員、濃紺のブレザーにストライプのネクタイ姿だったんです。                                                                        彼らから 全員、貧乏なので、この服装しか持っていないんだ! )とジョークが返って来ました。             MR.karasawa by aonuma_2.jpg

編集長_駐在中、様々な書籍に目を通されたと思いますが、権威があるレッスン書は、どの様なものが有りますか?                                                              唐沢氏                                                                                         そうですね、3冊あげられると思います。                                                                                一冊目は、ジャック・ニクラスの「Golf My Way」(1974年初版)                                                                翻訳物が既に出版されていると思いますが、僕にとってはバイブルで、何度か読み返しました。心構えから技術論まで、最高のレッスン書と思いますね。

二冊目は、「Five Lessons : The Modern Fundamentals of Golf」(1957年初版)                                                         これは既に邦題が、ベン・ホーガンの(モダンゴルフ)として出版されていて、日本でも多く目にします。

三冊目は、「Harvey Penick's Little Red Book Lessons and Teachings from a Lifetime in Golf)(1992年初版)                                        ハーベイ・ペニックの(レッドブック)として、既に翻訳物が出ていたと思います。

これらは古典的レッスン書として定評があります。たとえば、 ジョニー・ミラーなどもニクラスとホーガンの本は偉大な教科書だ、として読む事を奨めています。レッスン書の数は膨大ですから、読み過ぎは消化不足に成りますしネ。単成る読み物としては、良いんで しょうけど。

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編集長_講演会では、PGAツアーのお話などをされている様ですが。                                                                     唐沢氏                                                                                                 そうですね。私は時たまですが、講演会などに呼ばれて、お話する事が有るんですよ。ロータリークラブなどでは、経営者の集まりですからね、なぜPGAツアーが隆盛をほこる様になったのか、と言う内容は、集まった皆さんもご興味をもって聞いて下さる様なんです。

30分ぐらいにまとめて話すのは難しいです。長いのは問題ないんですけど。

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編集長_どの様にしてPGAツアーは、発展して行ったとお考えですか?                                                                 唐沢氏                                                                                              そうですね。まとめてみると、次の様になりますか。                                                                      1、一つは、伝統を継承しつつエンターティメント産業へ、発展させた事でしょう。                                                              心技体に優れたプロゴルファーの輩出と厚いファン層、TVによる発信力、グローバル企業のスポンサーシップなどが、発展して行った背景には有ると思いますけど。

2、一つは、国際化を認めた事でしょう。                                                                                  International Players へPGAツアーの門戸を開放した事が、結果としてツアーの市場価値が上がりました。

3、一つは、コミッショナーであるTim Finchem 氏の卓越したリーダーシップでしょう。                                                                彼は1994年に就任して任期は2016年までですが、その存在感は大きいですよ。

4、一つは、慈善事業などを通じて、地域社会に貢献している事ではないですか。

5、一つは、PGAツアーは個人事業主の団体として、オーナー経営のチームスポーツであるMLB、NFL、NBAなどに上手に対抗して来ている事です。

これら五つの要素が上手く絡み合って、相乗的に発展して来たと言えるのでは、無いでしょうか?

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編集長_今後のPGAツアーの動向で気になる点を挙げて頂くとすると?                                                                 唐沢氏                                                                                                2016年から改定されるパッティングが、気になりますね。「anchored putting 禁止」には、賛否両論が有りましたが決定されました。

USGAやR&Aからの提案に対して、例えばパーマーやワトソン、タイガーなどは賛成しています。しかし禁止されるパッティング方法で、優勝しているプレーヤーも少数ですが過去にいますから。上手に移行出来るかどうか。

日本のシニアなどでも、 そのパッティングスタイルで戦っている選手も、多いと思いますから、大いに気になります。

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編集長_今後、アメリカゴルフ界で活躍した日本人などを、取り上げて頂けませんか?                                                          唐沢氏_そうですね。資料集めなどしてみましょう。

編集長_本日はお忙しい中、長時間に渡り、誠にありがとう御座いました。

Mr.karasawa_St.Andrews.jpg連絡先                                                             タクト株式会社                                                                 〒101‐0051                                                                     東京都千代田区神田神保町2‐20 M2ビル                   

TEL 050-3821-6039 / FAX 03-3512-7580

                                                                                                                                                                                                                                                                                                          


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ゴルフ場設計家 佐藤謙太郎氏を訪ねて

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Mr.sato_tact.jpg 2012年12月中旬、編集長は設計家・佐藤謙太郎氏を事務所へ訪ねて、 約2時間半に渡り、ゴルフ場設計に関するお話しを、伺って参りました。

 当日の内容の前に、 ご本人の簡単なプロフィールと携わったコースを、ご紹介させて頂きます。   

                                                 【 ご経歴 】                                                 1947年秋田県生まれ。                                                      1973年より国内外のゴルフコース視察を重ねながら、ゴルフ場の造成工事・設計業務に従事。                                                          イギリスの設計家・David Thomasの設計理念に共鳴し、世界に通じうるゴルフコース造りを目指し、1988年に(株)M&Kを設立。                                                   その後、海外11コース、国内27コースを設計監修し、現在に至る。

【 ゴルフコース設計_海外 】

● 中国                                                                              1、上海ゴルフクラブ ( 18 H )                                                                         2、青島石老人国際旅遊ゴルフ倶楽部 ( 18 H )

● 韓国                                                                                   1、ヤンピョンTPC CC. ( 27 H )                                                                       2、T.G.V.カントリークラブ ( 36 H )                                                                        3、西ソウル・カントリークラブ ( 18 H )                                                                    4、T.G.V.EAST カントリークラブ ( 27 H )                                                                5、ドンホーカントリークラブ ( 18 H )

● タイ                                                                                      1、東洋インターナショナルゴルフアンドリゾート ( 9 H )

● マレーシア                                                                       1、テンプラーパークカントリークラブ ( 18 H )

● カンボジア                                                                        1、シェムリアップレイクリゾート ( 18 H )

● ベトナム                                                                           1、フェニックスゴルフ&リゾートマウンテンコース ( 18 H )

【 ゴルフコース設計_国内 】                                                         01、隨緑カントリークラブ恵庭コース ( 旧 丸増ノースヒルズCC )_18H 北海道                                               02、エーヴランドゴルフクラブ ( 旧 クイーンズランド余市GC )_18H 北海道                                               03、ロイヤルセンチュリーゴルフ倶楽部_18H 秋田                                                              04、下田城カントリー倶楽部_18H 新潟                                                               05、石地シーサイドカントリー倶楽部_18H 新潟                                                                          06、星の郷ゴルフ倶楽部&ホテル烏山 ( 那須城ゴルフ倶楽部 )_18H 栃木                                               07、伊香保ゴルフ倶楽部 清瀧城コース_18H 群馬                                                               08、鷹彦スリーカントリー_18H 茨城                                                                   09、ベイベイステージカントリークラブ_18H 茨城                                                              10、ウィンザーパークゴルフ&カントリークラブ ( 旧 七會GC )_18H 茨城                                                  11、石岡ゴルフ倶楽部 ウエストコース ( 旧 西茨城 )ー改造 ー_18H 茨城                                                             12、大月カントリークラブ ー改造ー_18H 山梨                                                                13、佐久リゾートゴルフ倶楽部_18H 長野                                                                            14、ムーンレイクゴルフクラブ 茂原コース ( 旧 イトーピア千葉GC )_18H 千葉                                                 15、キャメルゴルフリゾート ( 旧 御宿GC )_18H 千葉                                                            16、浜松シーサイドゴルフ倶楽部 ー改造・監修 ー_18H 静岡                                                                    17、横浜カントリークラブ 東コース ー改造 ー_18H 神奈川                                                          18、横浜カントリークラブ 西コース ー改造 ー_18H 神奈川                                                          19、津カントリー倶楽部_18H 三重                                                                      20、富士スタジアムゴルフ倶楽部 北コース_18H 滋賀                                                            21、富士スタジアムゴルフ倶楽部 南コース_18H 滋賀                                                             22、J.クラシックゴルフクラブ_18H 徳島                                                                   23、ザ・マスターズ 天草コース_18H 熊本                                                                  24、ワールドカントリー倶楽部 ( 旧 熊本コース )_18H 熊本                                                       25、花祭ゴルフ倶楽部_18H 佐賀                                                                                            26、美和ゴルフクラブ ? 改造 ?_18H 山口                                                                            27、ベアズパウジャパンカントリークラブ ? 監修 ?_18H 滋賀

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編集長_ゴルフ場建設・設計に係わり出したのは、何時頃からですか?                                                          佐藤氏                                                                                      1975年 ( 昭和50年 ) 建設会社に勤務していた当時です。                                                         大手ゴルフ場経営会社が、群馬県高山村で進めていたゴルフ場建設工事ですね。

設計家のルーティングは既に有ったのですが、計画コース36ホールの内18ホールに関して、自らの足で 計画地内を観察・計測し、ダムの計算、切り盛り土量計算などをしました。

一年半ほど群馬県庁へ通い、ゴルフ場建設の許認可取得業務に携わり、その二年後に、会社は建設工事に着工出来たのです。このゴルフ場が、関わった第一号と言えますね。

 

編集長_コース造りの今昔について、感ずる点を教えて下さい。                                                             佐藤氏_昔のコース造り                                                                                   昔の名匠と言われた設計家は、とにかく素材、ゴルフ場用地に恵まれていました。                                                            (この場所なら良いコースが出来ますよと言う設計家の発案が、コース造りにおいては何にも増して優先されたのです。まず設計家による素材の選定作業が有ったんですね。

又、昔は土木技術、建設機材も良く無かったので、良い地形・素材で無ければ、逆に出来無かったと言えますよね。                                      例えば一口に素材と言っても、単純にフラットな地形で有るとか、松林が豊富で有るとか、その様な表面上の事も有りますが、現在では必ず求められる雨量強度・計算など、その様な必要性が無く、ただ自然に大地が多くの雨量をも吸収してしまう様な、好条件も含まれていると思います。

 

佐藤氏_現代のコース造り                                                                                    現代では、技術も機材も大変良くなりましたので、多少険しい地形に付いては気にしなくなりました。この点が裏づけとなって、コース用地の選定に付いても、考え方が変化してきています。                                                         近年、ゴルフ場オーナーが新たにコース造りをする場合、 先ず用地を安く入手出来そうなエリア、次にアクセス、更には市場性、将来性、この様な点を重要視していますね。その後に設計家がルーティングした内容を基に、必要な用地確保に動くんです。

コース素材は、副次的要素になってしまった様に思われますね。ただこの様な方式ですと、用地がまとまらないケースが多々ありますね。                                                  虫食い状態の用地では、パズル方式での設計にならざるを得ません。 ですから1980年代後半から造られたコースには、未熟な内容のものが多い様に思われます。

近年造られた日本のゴルフコースに、現在求められているのは、やはり改造・改修でしょうね。

 

編集長_造られたコースの中で、思いでに残るコースは?                                                                 佐藤氏                                                                         どのコースも全て思い出せるほど記憶に残っておりますが、特に強烈な思いでは、マレーシアのテンプラーパークカントリークラブですね。

 

編集長_テンプラーパークカントリークラブ建設工事で思い出される出来事は?                                                            佐藤氏                                                                                       1989年当時、建設予定地はクアラルンプールから車で30分程のジャングルでした。そこは亜鉛採掘跡で、周囲は石灰岩でしたね。さらさらした砂地の様な所も多々有りましたよ。 予定地には、大きな川が流れておりました。

 

佐藤氏_建設作業中に怖かったのは、グリーンスネークです。                                                           猛毒を持ったヘビですよ。コブラも居るんですが、グリーンスネークの場合、噛まれたら5分以内に死亡すると言われてまして、現地の人も近寄るどころか、刺激しないで遠ざかるの待ってましたね。                                                                この時ばかりは、伐採作業もグリーンスネークを避けるように、避けるように進むんですよ。

 

佐藤氏_悩まされたのは、スコールですね。                                                                  雨季に成ると一日の内、午後の三時から五時にかけて、必ずスコールが来るんですよ。 一口にスコールと言っても、日本の台風の三倍は有ろうかと言う大量の雨が、いっきに押し寄せて来るんですよ。                                                              どうなるかと言えば、造ったバンカーが一瞬にして土砂で埋まってしまう、配管がやはり土砂で詰まってしまう、活着前のバミューダ芝がいっきに押し流されてしまう、直しては流され、直しては流されと言う事で大変な難工事でした。

当然日々、スコールへの工夫と対策は施すんですが、まあ大変でしたね。                                                       この時は、コースデザインと施行管理の調和と言う点に関して、本当に考えさせられるものが有りましたね。

 

佐藤氏_すぐに壊れてしまう重機にも随分悩まされました。                                                           バンカー砂の作成、芝の育成、などなど全て工事は自前で行ったのですが、調達した重機がすぐに壊れてしまうのには、困りました。

ブルドーザーを三台、シンガポールから持ってきたのですが、一時間作業すると一週間かけて修理すると言うのが、日常的でしたね。日本製ではない中古品でしたから、仕方が無い面は有るのですが、しかし良く壊れましたね。

 

編集長_テンプラーパークカントリークラブではトーナメントが開催されたとか?                                                      佐藤氏                                                                                 工事は約1年で終了し、完成する事が出来ました。その後、一年ほど養生させて、三年目からはマレーシアオープンの開場となったんですよ。三年連続開催コースとなりましたね。

後にコース所属プロとなったのが、ビジェイ・シン Vijay Singh でした。ご存知の様に彼は世界ランキング一位にもなったプロゴルファーですが、 マレーシア人女性と結婚して、世界へ飛躍していきましたね。

 

編集長_トーナメント開催のきっかけは?                                                              佐藤氏                                                                              マレーシアの国王は、マレーシア国内各州のエンペラーによる持ち回りなんですね。当時の国王は、クアラルンプールから出ていたんですよ。国王の発案だったと思いますね。

オープン時には国王親子もみえられました。ロールスロイスに乗ってこられて、真っ赤なジュータンが敷かれ ましたよ。

新興国にとってもゴルフと言うスポーツは、国際交流の為に大変有効なんですね。マレーシア人が多くやっていたかと言うと、やはり外国人の方が多かったですね。 その辺の社会事情を、国王も良く理解していたんだと思いますよ。

諸外国のゴルフ場と多く関わって来て思うことは、経済発展とゴルフと言うスポーツは、密接にリンクしていると言う事ですね。

 

編集長_テンプラーパークCC設計・建設を振り返り、ご感想をお聞かせ下さい。                                                 佐藤氏                                                                                   そうですね、私が考えていた流れる様なシェープが出来なかった事、これが何にも増して残念でなりませんでしたね。                                                       しかし、このコースへ智恵と努力を惜しまなかった事が、 アジアで私へ設計依頼を頂いた礎に成った様に思えますね。

Mr.Sato_tact-mizote.jpg

編集長_アジアと言えば、カンボジアでも設計されていますね。                                                          佐藤氏                                                                                          カンボジアのコースは、アジアの中で一番最後に造ったのですが、或る意味私の自信作と言えますね。それまでの海外での経験を、活かす事が出来たんです。

建設予定地は大変フラットな地形で、近くには有名なアンコールワット遺跡の森が有るんですね。                                            人工的であるゴルフコース、 このゴルフ場が時間の経過と共に、如何に遺跡の森と調和して、自然の中に溶け込めるかを、テーマに造ったつもりです。

そこをコースコンセプトにしたんですよ。フラットな素材に対して、人工的に造られた流れるようなシェープ、自然と大きくなる樹木、10年、20年を経過した後に、アンコールワット遺跡の森と調和出来る、と当時から確信を持っていました。

人工的で有るにも拘らず自然的であると言う事は、そこに作者の創意工夫が無ければ出来ないんですね。ルーティングからシェ?ピングまで私がやって、満足の出来る仕上りになっています。

 

編集長_アジアの中では韓国が一番多く造られていますね。                                                         佐藤氏                                                                                     韓国では5コース造ってます。                                                                              1980年代後半、韓国には200以上のゴルフコースが有りましたが、その半数以上のゴルフコースの設計に、関係していると言われる設計会社が有るんです。                                                 その会社の実力者が独立すると言うので、その彼と共に造ったものが多いですね。

第一号コースは、パルパルオリンピック 1988年ソウルオリンピック の年、にソソウル・カントリークラブ 西ソウル・カントリークラブを造ったんですね。

その後、暫く韓国の案件からは離れていたんですが、或る日突然、 韓国のゴルフ場オーナーが私の東京事務所へ飛び込みで来られたんです。                                                その方の熱意こもった設計依頼を受けて、スタッフを1年間、韓国に常駐させて造ったのが、ヤンピョンTPCです。二作目になります。三作目がT.G.V.カントリークラブ です。

その次がT.G.V.EAST カントリークラブ 、ドンホーカントリークラブと言う流れになります。現在、進行している計画も2?3有りますし、名前を出さない事を条件に、図面だけ書いて向こうの建設会社が造ったコースも有ります。

 

編集長_設計依頼はどの様にして来るのですか?                                                                        佐藤氏                                                                                   全て紹介です。                                                                                   世界の富裕層と言うのは、皆さんコミュニティーを持っています。富裕層同士でのネットワークです。そのネットワークを介しての紹介が多いと思いますよ。

良い仕事をし、コースの評価が高いと言う事が、結果として次の仕事につながると思います。

 

編集長_世界的に著名な設計家はどの様にしていますか?                                                           佐藤氏                                                                                           アメリカの4大メジャー設計事務所、 例えばニクラウス設計事務所などは、今後発展する可能性のあるアジアの中心都市に、現地事務所を開設しています。そこに担当者を常駐させています。

経済発展とゴルフ場建設は、密接にリンクしていますからね。

 

編集長_アメリカの大手ゴルフ場設計会社のポテンシャルは?                                                               佐藤氏                                                                                      アメリカの大手ゴルフ場設計事務所の場合、 手掛けているゴルフコース数が圧倒的に多く、経験が豊富ですから、様々なものに対して成熟していますね。

例えば                                                                                1、ルーティングプラン                                                                                 2、詳細プラン                                                                                      3、監修                                                                              4、市場調査                                                                                        5、運営                                                                                      6、メンテナンス・管理など等                                                                                建設及び管理運営も含めたゴルフ場オーナーの要望に合わせて、様々なパッケージプランを持っています。                                                       ゴルフに関するありとあらゆる情報を持っていますね。

 

編集長_海外でゴルフ場の仕事に取り組むには?                                                                     佐藤氏                                                                                    設計・監修に関しての依頼を受けた場合、交通費、 宿泊費を含めたオファー費は、先に依頼主側から振り込んでもらいます。                                                          依頼主側は、3社から話を聞きたいと成れば、3社へ振り込むんですよ。依頼主側からのこの振込が、意向表明に成るんですね。 又、設計家に対してプレゼンに参加してさい、と言う依頼に成るんです。

 

編集長_海外の依頼主は、どの様なゴルフコースを造りたいのですか?                                                         佐藤氏                                                                                    海外の依頼主は、明確なコースコンセプトを持っています。 入り口と出口が、はっきりとしています。例えば将来的にはトーナメントを開催したいとかね。

日本ではよく、プロに難しくアマチュアに易しいコースなどと表現しますが、 その様な抽象的な漠然とした設計依頼は有りません。                                                        トーナメント開催コースとなれば、やはりプロの練習施設であるとか、 ギャラリーが移動し易い動線であるとか、依頼主が求める内容に沿ってプランニングする必要が有りますよ。

お隣の国、韓国のゴルフ場オーナーなどからは、チャンピオンコースへ仕上げて欲しいと言う依頼が多く、攻略ルートに付いても、ハザードに付いても厳しいものを求めて来ます。

 

編集長_設計料などは何時の時点で支払われるのですか?                                                                佐藤氏                                                                                                 ルーティングプラン、基本設計をした段階で支払が有ります。近年は内容をメディア CD 、DVD にして手渡しますが、 その時点で先ず支払が有ります。その内容が ナイス と言う事になれば、次は詳細設計に移ります。                                                                              二ヵ月後に詳細図面を説明し、引渡しと共にその詳細図面に対する支払が有ります。この段階で、基本的な設計業務が終了した事になるんですね。

 

編集長_日本とは随分異なっている様に思いますが                                                               佐藤氏                                                                                         そうですね。日本人は口頭での約束に対して、それを反故にする様な事は、あまり有りません。ところが海外では、その様な思惑では仕事になりませんね。                                           例えば、? 契約時 ? 着工時 ? 工事中間時 ? 工事完成時 この様に何回に分けて工事代金を支払うと言うのが、一般的な日本の商慣習かと思います。

しかし、この方式を海外でも当てはめて考える事は、大変危険です。 この様な内容の契約書ですと、最後、? 番目の工事完成時代金に付いては、まず受領出来ないと考えた方が良いですね。

出来上がったコースに対して、海外の依頼主は必ずと言って良い程、クレームが付きます。 この様なコースを望んでいませんでしたと言う事になり、 そうなっては代金の回収は困難を極めます。

 

編集長_設計家の著作権に付いて                                                                         佐藤氏                                                                                         設計家は設計業務が終了し、代金の支払を受けた後にも、著作権は移動しないんです。この点を良く理解しない為に、問題が起きるんですよ。                                                  例えば お金を払ったのに、なぜ頂けないんですかなどです。

依頼主 発注者 には、使用権が有るんです。この点に関して、日本ではなかなか理解されていませんが、設計依頼を受けた時点で充分な説明と理解が必要な点です。

 

編集長_建設工事について                                                                                佐藤氏                                                                                        図面が出来上がると、次は工事に入ります。まれに設計家の名前を出さない事を条件に、図面のみを購入し、それを基に自らが工事に入るオーナーも居ます。しかしそれは、まれですね。

工事が始まりますと、通常はその工事を管理・監督出来る人物が、必要なんです。 その役割を担う人をスーパーバイザーと呼んでいるんです。                                            設計家は月に一度、或いは二ヶ月に一度と言う頻度で現場へ出向き、監修業務をする必要が有るんです。この監修業務に付いても、一回のフィーが必要ですし、当初から決めておく必要が有ります。

実際の工事に入る為には、着工前に、一ヶ月か或いは二ヵ月分の工事代金を、前金にてオーナーより支払って頂く必要が有ります。この支払が止まった時に、建設工事もまた止まってしまうんですよ。

この様にして工事が完成して始めて、設計家は名前を出せるんです。この一連の流れが、海外で仕事をする時の一般的ルールですね。

 

編集長_海外のゴルフ場オーナーはゴルフ場をどの様に認識しているのでしょうか?                                                     佐藤氏                                                                                         海外のゴルフ場、クラブは閉鎖的です。ゴルフ場はオーナーの所有物です。当たり前ですよ。 オーナーは、素晴らしい誇れるゴルフ場を所有している事に、意義を見いだしているんですから。

ゴルフ場をビジネスに、していないんですね。ゴルフ場をビジネスにした場合は、やはり年間来場者数が問題になるでしょうし、客単価も気になる点だと思います。

これは、ゴルフ場をビジネスにしたら良いとか、悪い、と論じてるのでは無いです。

 

編集長_コース完成後のゴルフ場との関わりは?                                                                      佐藤氏                                                                                         コースが完成して暫く経過すると、オーナー自らがコースへ手を加え出すんですね。設計者の意図する内容よりも、自分好みに変えて行くんです。                                                     なぜ、この様な問題が起きるのかと言えば、出発点でコースコンセプトに付いて、充分な話し合いがなされていない為だと思います。

コースへ手を加えようとした時点で、設計者へ連絡を頂ければ良いんですけど。                                                        昔の設計者、井上誠一さん、或いは上田治さんなど、神格化された様な方々のコースでは、設計者の思想或いは考え方などを学んで、維持して行こうとする傾向は有ります。

 

編集長_グリーンキーパーさんとの関わりは?                                                                        佐藤氏                                                                                   グリーンキーパーさんとの関係は、残念ながら希薄ですね。ゴルフ場のグリーンは、畑や田んぼと違いますから、耕す訳には行きません。 グリーンの表面上から施用する以外有りませんので、難しい作業ですよね。

化成肥料にしても有機肥料にしても、一長一短が有りますが、 上手に使い分けてやって欲しいと思います。

 

編集長_今後、日本のゴルフ場に於ける設計家の役割は?                                                               佐藤氏                                                                                    今後、日本で新発のゴルフ場は、出来ない様に思います。そうすると設計家に託された役割とは、コースの改修・改造と言う事になるんでは、無いでしょうか。

例えば、バブル期に粗製乱造されたコースを、明確なコースコンセプトを持った内容へ、改造して行く事でしょうね。

例えば、2012年時点で、全ゴルフ場数の半数程残されている、ツーグリーンのワングリーン化でしょうね。私はツーグリーンが全て悪い、と言っているのでは有りませんが。

 

編集長_日本での外国人設計家の活躍が目に付くんですが?                                                                   佐藤氏                                                                                         様々な要因は有りますが、結論は力量の差ですね。                                                                     どういう事かと言うと、やはり外国人の方が良いデザインをするんですね、残念ながら。

海外、特にアメリカの設計家は、手掛けているコース数が圧倒的に違います。経験値に裏付けされた仕上りは、やはり出来が良いんです。

近年、古くからの名門コースと言われるゴルフ場で、改修・改造が進んでいます。 その様な時には、日本人の設計家を使って欲しいと言う気持ちは有りますが、コンペになった場合は、やはり負けてしまうのが現実です。

 

編集長_今後、日本での改修・改造に当り、訴えたい事は?                                                              佐藤氏                                                                                    そうですね、端的に言わせて頂ければ、新しくもの造りをするに当って、50年前の設計家の復元は出来ない、と言う事ではないですか。

設計家によるプレゼン以前の問題として、コースコンセプトを明確にして頂き、クラブの会員間に於けるコンセンサスを得ておいて欲しいと言う事です。

良く耳にするのは、これでは50年前に造った名匠の雰囲気が壊れてしまう などです。ゴルフボールやドライバーなどの用具が、革新的に飛躍的に変化し、より遠くへ飛ばす時代にあって、現代的なコースデザインを求めるのか、 或いはクラシックデザインに固執するのか、発注者側が問われている問題だと思います。

この点を良く議論して欲しいですね。

 

編集長_今後の豊富をお聞かせ下さい。                                                                           佐藤氏_世界に通ずるコースを日本からも発信していきたい、と言う事に尽きますね。

編集長_本日はお忙しい中、長時間に渡り、誠にありがとう御座いました。

Mr.Sato_tact.jpgゴルフ場設計_株式会社 M & K(2012年12月現在)                                              〒224-0052                                                                  神奈川県横浜市都筑区二の丸12‐7                                                     代表取締役 佐藤 謙太郎                                                             TEL:045-507-5221 / FAX:045-507-523

http://www.mandk.co.jp/

                                                                                        


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はじめに

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 2013年新春より、(ゴルフ 偉人、名人、達人列伝 )と言う新規コーナーを立ち上げて行きます。

 数多くのゴルフコース設計に携わった方、或いはエージシュートを何百回と達成された方など、ゴルフ業界に於ける文字通り、偉人、名人、達人を、編集長の独断にて取り上げさせて頂きます。

 ご本人へ直接お目にかかり、或いは電話やメールでのやり取りになってしまう場合も想定されますが、伺った内容を編集長が編集し、公開させて頂く予定です。

 公開頻度に付いては、不定期になる事と思われます。編集長が、偉人、名人、達人の足跡を辿って行きます。